[コメント] 純子引退記念映画 関東緋桜一家(1972/日)
もうお馴染みの面々が出てくる出てくる。もうそれだけで嬉しい。出ていなかったのは 池部良・津川雅彦・大木実ぐらいなもんで、カメオ出演でも良いから顔を出して欲しかった。
これは文字通り藤純子の為だけに作られた作品であり、観客も藤純子を観る為に足を運んだのだろう。ラスト、藤純子はカメラ目線でこちら(私にだっ)に会釈をしてくれた。不意の会釈に私も思わず頭を下げる。リアルタイムでなく、深夜のビデオ鑑賞なのに何故だか(否、当然かっ)涙が滲む。
《けにろん》さんの仰る通り、本作は一秒でも長く純子をフィルムに刻み込まなければならない作品である。しかし純子に縁あるお馴染みの面々が次々に登場したかと思うと意外にも高倉健と鶴田浩二の「いつもの作品」になっていってしまう。そしてお馴染みの面々は「いつもの役どころ」を「いつも通り」に演じていた。
若山富三郎も待田京介も見せ所が用意されていたし、個人的に東映の4本目の柱じゃないかと信じてる天津敏もいつも通りに悪かった。嵐寛寿郎はやっぱり病気だし、片岡千恵蔵は案の定大石内之助ばりに出張ってくる。藤山寛美は相変わらずしょうもない。そして《リリアンヌ》さんの仰る通り、菅原文太の役どころだけは何故か勿体無い。
考えてみれば「ご本人」によるセルフパロディーとも受け取れるような配役も、大スターの引退記念映画ともあれば逆にファンにとっては嬉し過ぎるプレゼントである。だが、ここまで脇の活躍が過大だと、主演の純子引退という大テーマに支障をきたすのではと危惧してしまう。
これは結果論であるが、監督のマキノ雅弘にとっても最後の作品になった。そして東映が推し進めてきた「任侠路線」も事実上ヒットは本作が最後であり、「実録路線」に転換されていくことになった。人によっては純子の引退と本作の甘いラストに観客がシラケた結果だという。
私は思う。マキノ雅弘は純子の引退記念映画ではなく、「任侠映画」の引退映画を作ろうと意図したのではないだろうか?本物のオールスターによる「お祭り映画」、それは捉えようにはパロディーと受け取られても構わないという意思。「任侠映画」の幕引きが必要ならば、引導を渡すのに最適な人物は自分しかいないだろうという自負。
きっとそうなのだ。輝かしき時代に燦然と輝いたスターたちが「いつも通り」の役をきっちりと演じることで得られた「安心感」。観客に厭きられ始める予兆を先取りしての「もうこれが最後だよっ!だからオールスターで楽しんでくれっ!」なんていう監督の呟きが聞こえてきそうな作品だった。
だから、甘いかもしれないが★5。
PS、なんて思ったら、マキノ雅弘自身のコメントを読むと全然違うんですね。彼は各スターたちをアップで撮れと指示を出す東映に嫌気がさしたんらしいです。最後の最後に純子に「こんな程度の映画」しか撮ってやれなくて申し訳ないと・・・
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