[コメント] 博奕打ち 総長賭博(1968/日)
世界の映画界で取り残される「日本映画」。
本作をはじめとして、1本のヒット作を拠りどころとして延々と同名のシリーズ作を創り続ける特異な体質であろう。世界的にみても異常な状況であった。現在でも『釣バカ日誌』などが平然と量産され、そうした大量生産品に私は愛情を感じることが出来ない。
安易で怠慢な体質はやがていつかはマンネリを招き、「低迷」が義務付けられる。迷走する中では「新しい芽」は育ち辛く、衝撃的な「特異体質」も埋もれていく。
この作品もそんな数ある大量生産シリーズの単なる一編に過ぎなくされている。制作会社の安易な「シリーズの次回作」という企画に対し、それでも彼等は独自の作品を書き続ける。
そんな中の「特異体質」が本作ではなかろうか。この見事なまでの悲劇性は圧巻である。押し寄せる津波が次第に凶暴な高さにまで駆け上っていくように、男達は悲劇のクライマックスへ突き進んで行き、頂点に達した津波が重力に負けて解放されるが如くカタルシスを発散させる。
シネスケに限らず邦画ファンの間では非常に高い評価を得ている本作。だが、本作に触れる為には小便臭い妖しい劇場やらマニアックな場所での上映を待たねばならない。何故だ?
安っぽいタイトル、胡散臭い大量生産シリーズの単なる一編。これは「結果」だ仕方がない。だが、そんな中から生まれた「特異体質」という宝物。
邦画界の罪とは、その後の対応である。この宝物・才能を引き上げることなく、単なるシリーズの一編に押し込めてしまっていったのだ、自ら・・・
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