コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] チャップリンの殺人狂時代(1947/米)

「一人殺せば…」は誰の言葉?
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 チャップリンが作り上げた、現代版の“青ひげ”。これはフランスの実話を元にした話で(そこでは6人の妻を殺し、その遺産を次々と自分のものにしていった伝説の人物だが、その実像は実直な紳士だったという)、当初オーソン=ウェルズも自分のための映画としてこの企画を企てていたが、競合の結果、チャップリンが買い取って自らの手でシナリオを構成した作品(ウェルズは原案でクレジットされてる)。

 第2次世界大戦が始まる直前の1939年に製作が開始された『チャップリンの独裁者』が何かと物議を醸したが、それにまさる衝撃を映画界に与えた問題作。それまでのコメディ路線で見られた社会批判色をより強めた作品だが、共産主義のプロパガンダだと反発された。この作品を世に出したことにより、非米活動委員会に目をつけられ、結果的にこれから30年もの間、アメリカに戻れなくなってしまう事になる。

 今の私たちの目からすれば、単なる風刺の効きすぎたブラック・コメディで済んでしまう作品だが、これは当時の状況を考える必要がある。当時のアメリカはヨーロッパと極東における「正義の戦争」であった第2次世界大戦の勝利に酔い、そして新たに「敵」として共産主義を視野に捉えていた時代である。時代の流れは非米活動委員会を生み出し、「赤」とされた人物には容赦ない処罰が行われるようになる。アメリカ版“魔女狩り”とも呼べる時代に突入していった、そんな時に上映された作品なのだ。自分たちが正義であると思っていたアメリカ人の心をまるで逆なでするような作品だった。これもその時代の背景を考えることなしに分からない映画だ(この辺の時代は『マジェスティック』(2001)でも描かれている)。

 それをチャップリンは分かっていたのだろうか?もし分かってなかったとすれば、不幸だった。で済むが、もし確信犯的にこれを制作したと言うのならば、まさに自分の役者生命そのものを賭けた警鐘であったと考えられる。チャップリンに関しては確実に後者だろう。彼は大衆の嗜好を嗅ぎ取ることについては紛れもない天才だったのだから。しかも『チャップリンの独裁者』においてヒトラーの危険性にいち早く気づいたチャップリンだった。そんな彼がアメリカ、ひいては世界の危機に敏感でなかったはずはあるまい。

 それだけに当時のアメリカに問うには、本作はあまりにも危険な作品だった。事実当時本作は問題作とされてしまい、各地の劇場でも非難と上映ボイコットが相次ぎ、非米活動委員会が出頭を求め、チャップリンは反国家分子の烙印を押されることになる。

 アメリカの国策に反対するものとして、チャップリンはコミュニストと断定されてしまった訳だが、果たしてチャップリンは共産主義者だったのか?そう考えてみると、やはり違うと私は思う。国際政治的なバランス感覚には非常に優れていたチャップリンも私生活はかなり乱れていたし、金儲けすること自体を悪いと思ってる節も感じられない。非米活動委員会がやり玉に挙げたラストの台詞「一人殺せば犯罪者だが、100万人殺せば英雄か」と言う言葉は元々「人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄である」と言うポーテューズの言葉の引用だが、それまでにもドイツのアイヒマンは「百人の死は悲劇だが百万人の死は統計だ」と言ってるし、粛清の嵐が吹き荒れていた当時の中国やソ連に対する皮肉にだってなり得る。ソ連のスターリン自身も「ひとりの死は悲劇であるが、万人の死は統計でしかない」などと言う言葉を残してるくらいだ。ファシズムにもコミュニズムにも通じるこの言葉を敢えて使うことで、あくまでチャップリンはエンターテイナーとして、その中で世界に正義というものの恐ろしさを語ろうとしていただけではなかろうか。

 ここに登場するチャップリン演じるヴェルドゥの心理というのはなかなか興味深い。彼の心には殺人を禁忌とする感覚がない。一方、人を慈しむ心というのが同時に心にある(町で拾った娘にテストとして毒を盛ろうとして、それを中止するシーンや、自分が殺した未亡人が荼毘に付されている時に、虫を踏みつぶすのを躊躇するシーンなんかに良く現れている)。常識で考えるのならば、それが両立することはあり得ないはずなのだが、そう言う心理が両立する人もいるらしい(近年では『羊たちの沈黙』(1991)でのレクター博士が顕著)。心のどこかに欠落があるのか、あるいは全く別な意味があるのか、私には説明が付けられないが、最近の日本における数々の事件を見ると、平気で残酷なことをしていながら、何気なく日常生活を送る人間が増えているように見えるし…かえって今の日本でこそ、もう少し本作のことを考えてみるべきなのかも知れないぞ。

 それで作品としての本作の内容だが、取り上げる内容が内容だけに、確かに純粋なるコメディとして楽しむには躊躇を覚える。笑うにはちょっとブラック過ぎる。どうしても笑っちゃいけないような決まりの悪さを感じ続けた。最初から最後まで違和感を内包したまま終わってしまったと言うべきか…少なくとも『チャップリンの独裁者』では笑いの方向性に心が傾いたのに、こちらではそこまでいかなかった。私自身の感性の問題かもしれない。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)シーチキン[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。