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[コメント] おとうと(2009/日)

こういう言い方をすれば失礼かもしれないが、見ている間、昔見たイタリアのネオリアリズム映画を思い出していた。庶民の話である。どこにでもありそうな話である。そんな小さな、風が吹くと散っていきそうな話である。でも、
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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これぞ人生の真実のひとこまでもあるのだ。

山田洋次が意図したのかどうか明確ではないが、これは虎次郎とさくらの終焉の話であろうと思う。姪の名付け親ということのみが唯一の誇りだった男、と家族という垣根から一歩も出ることなく毎日を生きた女の話である。日本人の原型の話でもある。

最初の方の一流ホテルでの結婚式。弟が我慢できず酒に酔い、式を台無しにしてしまう。結婚式では親族が一堂集まるのだから血は一緒でも人それぞれ経済的、社会環境もさまざまである。多少場は乱れたが、お祝いの場であることから、ある程度大らかに見てあげるべきだと僕は思う。

映画では家柄、育て方の違いを表現しているのだろうか、親がわざわざ謝りに行ったり、その後、舅や夫から信じられない扱いを受けてしまう娘のことなど、ちょっと違和感のある出来事が続く。だいたい、恋愛中そういう相手を認識できなかった娘もどうかと思うが、、。

それにしても吉永の大阪弁は初めて聞いたように思う。結構うまい。驚く。吉永は年を取ってから良くなってきた。(随分年取ってからだが、、)弟に添い寝するシーン、頭部から映す顔は『キューポラのある町』のジュンと一瞬見間違えた。女優です。吉永は演じていると自然と若くなってしまうのではないか。そんな気がする。

やはり人との別れ。それが死を介在するのはむごい。ラストの小ホスピスでの描写はいかにも職人的でうまく、けちのつけようがない。泣かせる。山田節が鳴り響く。弟がただ野垂れ死にしていたらこの映画はスケールの小さなものになっていただろう。その意味でもこの小ホスピスには山田の社会的メッセージがあるはずだ。

例えば生活保護と料金支払いについてなど少々映画的には不要な部分まで言及するところが山田らしい、と思う。でもこの説明部分はこの映画のバランスを崩していたのも確かだと思う。

しかし、この小ホスピスの描写は素晴らしい。最初の豪華結婚式での親族より本当の親族のように思えてくる。これが言いたかったんだろうなあ。でも、現実にこんなユートピアがあるのだろうか、、。説明があったぐらいだから真実なのかもしれないが、、。

自由へのメッセージが強かった『母べえ』と較べると随分スケールダウンしましたが、これはこれで秀作です。日常という当たり前のことをテーマに映画を作るなど現代では奇跡なのかもしれないのですから。

(評価:★4)

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