[コメント] ミュンヘン(2005/米)
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これまでスピルバーグのシリアスものはあまり評価しなかった。スピルバーグの落ち着きの無い、躁病的な演出がテーマとそぐわないことが多かった。演出に無駄がある割にはテーマを消化しきれていないという苛立ちがあった。
今回の『ミュンヘン』は、どうでもいいサプライズ演出も影を潜め、カメラの動きも少なく、それでいて残虐描写はきっちり描くのだが、その残虐描写がきちんとテーマを物語っており、変な言い方だが、無駄な殺人シーンがないと感じた。
例によって、スピルバーグは先の読める話を、串団子のように1個1個順繰りに見せていく。人が人を殺すシーンを延々と積み重ねる。こんな演出では退屈なはずだが、スクリーンから目が離せない。ひょっとして自分は何かの刑罰を受けているのではないか?と錯覚する。『時計仕掛けのオレンジ』のように残虐シーンを強制的に見せられているのではないか?
コメンテーターのカットグラ氏は『激突!』の秀逸なコメントで、「暴力の後味の悪さ」について語っているが、スピルバーグ監督の暴力はカタルシスを呼ばない。子供向け映画でもそうである。観客をスカっとさせるために暴力シーンがあるのではなく、暴力はこんなにひどいものだと訴えるために執拗に暴力シーンを撮り続ける。それでもまだ「スピルバーグの残虐シーンって面白いぜ!」と誤解している人の為に、今回はセックスシーンと虐殺される選手のシーンを交互に描くと言う、最高に後味の悪いことをやって観客を地獄へ突き落とすだろう。そうまでして訴えたいものがあったのである。
この映画は、イラク戦争の忠実なパロディでもある。オリンピックの事件を9・11事件に見立てると、その後のイスラエルの決断、命令されたアヴナー達の行動はそのままアメリカの動向とその後の運命とシンクロする。見ている間はそんなことを考えているひまは無いが、ラストシーンでそのことを思い知ることになる。そしてこれまでの残虐シーンをまざまざと思出だすだろう。
ここに至って、スピルバーグが封印してきたアメリカン・ニューシネマの血が騒いだのか、あの混沌とした70年代がCGの衣を纏って蘇ったかのようだ。70年代のネタはあまりに表立って出てこないが、歌とかポスターのさり気ない引用が結構楽しい。ラジオチャンネル争いで一瞬『日曜はダメよ』の曲も出てくる。この映画はレッドパージでアメリカを追われたジュールズ・ダッシンがギリシャで撮った、アメリカの文化侵略を皮肉った艶笑映画。
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