[コメント] 命(2002/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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違和感。
死の淵に立たされる東由多加。しかし、癌の宣告を受けた東は治療をするのかしないのか、柳美里に判断を委ねようとする。嘘っぱちの強がりからか、生への無執着からか。そんな東も赤ちゃんが誕生すると変わりはじめる。「俺は生きたいんだよ、先生」赤ちゃんに自分の名前を呼ばせたい。将来を見届けたい。治療に前向きになり、もって8か月と言われた命もその月を超し、奇跡の領域へ。今生きていることが奇跡だと、そう思わせるほどの生への執着、エネルギー。命の奇跡。壮絶な闘病の末、生き絶える東由多加の命は、新しく誕生した命へと紡がれていく、そう思わずにいられない。
しかし、である。この話のどこに柳美里の入る余地があるのだろう。そう、私にとっての違和感とは柳美里、この映画の主人公その人なのだ。
確かに「闘病」とは看病する医師や家族も含めての「闘病」である。東に付きっきりで看護した柳はすさまじい苦労があっただろう。また、赤ちゃんを生んだのは柳である。自分は男だからわからないが、出産に伴う痛みは相当なものらしい。子育てだって大変なものらしいのだ。
それでも、少なくともこの映画からは彼女の母親としての、また、一緒に病と闘おうとしているものの「覚悟」といったものが伝わってこない。
例えば彼女は、東が医師と決別したから別の病院を探してくれと言った時、週刊ポストにFAXする。なぜ電話してくれないのかとの問いに「電話が苦手」だと答えている。そんな事いっている場合なのか。結局病室を変える事はなかったが、事の成り行きはどうあれ、事体をちゃんと考えているのか疑問に思う。
他にも妊娠時に不倫相手(寺脇康文) に「生きるか死ぬかの問題なのよ!」と責めるシーン。身ごもった命を「殺す」ことも選択肢としての問題なのかと愕然とした。
僕は原作もまだ読んでいないし、柳美里の著書も読んだことはないので彼女の人生や人となりはわからないが、この映画の江角マキコ演じる柳美里からは、ただ流されているだけの人間としか伝わってこなかった。在日コリアンだから、不倫だから、電話が嫌いだから、身ごもってしまったから、癌と宣告されたから、、、
だから物語終盤近くに彼女の知人が言った「感心はしないけど、感動する。」という言葉がピッタリなのだと思う。「柳美里」という人物の行動に感動はできても、彼女自身の「生」に感心できない。
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