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[コメント] オータム・イン・ニューヨーク(2000/米)

「馬鹿は死ななきゃ治らない」といいたかったのでしょう。
らむたら

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







久々に観てて苦痛を感じました。『トーマス・クラウン・アフェアー』以来だな。 話題作だったらしいし、主演がスターだから観たけど、時計を5分間隔で確認してその経過の遅さを嘆き、ただひたすら「一度観始めた映画は(我慢の臨界点を越えない限り)最後まで観る」という曖昧な義務感だけで自虐的に己を縛り、鑑賞後に1時間50分もの無駄を痛感した数少ない映画でした。

この映画が言いたかったことは「馬鹿は死ななきゃ治らない」ということなんでしょう。これは自信があります。日本ではこの慣用句は一般的に「馬鹿な人間は生きている限り馬鹿なのだ」という極度の侮蔑が込められているあくまで個人的な人物評あるいは彼の宿命論に終始する救いのない慣用句ですが、この映画においてはちょっと意味を捻っていて、「馬鹿(リチャード・ギア)はその愛する人(ウィノナ・ライダー)が死ななきゃ治らない」となっているところが人によっては新鮮に思えるのかもしれません。

でも僕は思うのですが、ギア演ずる女たらしのオーナーが恋人の死によって改心し、まともな人間になるような暗示が安っぽいラストシーンにありますが、だからなんなんでしょう? 彼が改心するためだけに、難病の無垢な女の子を登場させ、その純真な心を傷つけ、不当にも若くして殺す(製作者サイドがということ)という陳腐な「お涙頂戴」には吐き気がします。

病気の人は誰かのために苦しんでいる訳じゃないし、彼らの不条理な死も誰かの人生に意義を与えるためにあるわけではないのです。彼らだって病気から解放されたいし、決して死にたいわけじゃないのですから。病人の苦しみや死を「愛」という美称を施して使い捨てする無神経な「感動作品」はR―150指定の処分にして欲しいと常々思っています。

だって思いません? ウィノナと現実に同病の女の子がこの映画を観て感動するでしょうか? その女の子は涙を流すかもしれませんが、それは悔し涙かもしれませんよ。この映画を観て感動するということは健康な人間の不遜、近いうちには病気で死ぬことなんか絶対ない(と思っている)人間の傲慢の無意識的な現れではないのかとさえ思ってしまいます。

(評価:★1)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ざいあす[*] mize[*] White Gallery[*]

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