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[コメント] ニッポン国VS泉南石綿村(2017/日)

犠牲者の嘆きはなにしろ報われない
ペンクロフ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







遅々として進まぬ裁判の裏で、バタバタ討ち死にしてゆくアスベスト犠牲者たち。ごほごほげほごほ。ごほごほ。もう気の毒で気の毒でやりきれない。彼らひとりひとりに人生があったが、この世で報われることはもうない。原告の皆さんは疲弊しており、怒りを表に出すことに慣れていない。

映画の後半、原告の柚岡(ゆおか)さんが新幹線の中で自作の建白書を取り出して以降、首相官邸や厚労省との押し問答が延々と続く。申し訳ないが、これ意味はあんまりないと思う。彼らの行動がではなく、映画として尺かけて描く意味はあんまりないかなーと、今の自分は思います(若い頃の自分なら違うだろう)。官邸の警備、厚労省の下っ端役人は端的に言って人間ではなく、イヌなのだ。ひとりひとりと普通に話せば、いい人もいるでしょう。でもああやって拙い怒りをぶつけちゃうと、仕事柄イヌの顔になるよね。それって結構普通のことだ。彼らが国家のイヌと揉めている画は、確かにいかにもドキュメンタリーっぽいものだ。この展開を望んでいた節のある原一男監督は、やれやれこれで映画になるわいとでも思ったのだろうか? でもあれを本当に突きつめるのなら、官邸にロケットランチャー撃ち込むしかねえんだ。何もかも爆破するしかねえんだ! ロケットランチャーっていったいどこで手に入るのかな。奥崎謙三は、それをホントにやる男だったので逮捕された。彼は怒りを表現し、自分を演出することにもいっさいのためらいがなかった。奥崎の過激な生き様と『ゆきゆきて、神軍』のヒットは原監督の人生を歪め、彼に呪いをかけてしまったように思う。お気の毒なことだ。

後半の揉め事が面白い、前半は退屈だという向きもあろう。しかしオレは、この映画はただカメラ回してアスベスト被害者の話を聞く前半こそが、たとえ画が退屈でも面白く、価値があると思う。

時間とは残酷なもので、この映画が描く8年間で原告団は次々に死んでゆく。勝訴で沸きたつ喜びも、敗訴で流す涙も、彼らにとってはかけがえのない本気の瞬間だ。しかしこの短い(短い?)映画の中では「一喜一憂」にまとめられ、一方で無限の長期戦ができる国はゴキブリのように逃げ回って時間を経過させ、その罪をウヤムヤにしてゆく。それも構造的に仕方ない気がするのだ。原告たちがかけがえのない人生と健康を奪われたのに対して、大臣なんて4年で替わるバイト野郎にすぎない。「だってオレのせいじゃねーし」というのが本音だろう。「責任者を出せ」という言葉が虚しく響くのは、本当は責任者なんて逃げきった後でどこにもいないからだ。この勝負は原告に分が悪すぎる。死にかけてるうえに勝ちのない闘いを強いられ、それでも闘わざるをえぬジリ貧状態が決定づけられている。ああ無情。やりきれない。最高裁では勝ったけど、これで彼らは勝ったといえるのだろうか。判らない。オレは映画が終われば日常に戻るだけだが、この人たちの苦しみは死ぬまで続く。

(評価:★3)

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