[コメント] アマデウス(1984/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ディレクターズカット版 劇場鑑賞。
映像が、音楽が、私の神経に静かに浸透してきて感情が揺さぶられ、涙があとからあとからこぼれてきた。貴方はこんなにも私のなかに入り込んでいるのに、なぜ私は貴方の一部になれないのだろう?片思いのようなもどかしさ、ああ、私が貴方の一部になることができたら・・!その光の粒になってもいい、映画のなかに埋もれてしまいたい。
・・・と映画を観ながら切に思った作品。
“笑い方”。モーツアルトの“笑い方”、皇帝の“笑い方”、サリエリの“笑い方”、妻の“笑い方”、上流階級の“笑い方”、民衆の“笑い方”・・。笑い方ひとつで、育ち、階級、心情すべてが表現し尽くされている。特に皇帝の“笑い方”は必見・・ちょっとやそっとの鍛錬じゃあ出来ませんあれは。
ニ度三度観ることで映画の違った趣を味わうことができても、初見の機会はたった一度しかない。この映画との初めての出会いが劇場であったことが、本当に嬉しい。
*勢いあまってDVDとサントラ購入。DVDの安売りを悲しく感じたのは初めて。
<以下、ディレクターズカット版のネタバレ>
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ディレクターズカット版に付加されていた主な内容(約20分)
・モーツアルトの妻コンスタンツェがサリエリに楽譜を持って訪れる場面。モーツアルトに嫉妬したサリエリがコンスタンツェに体を要求、モーツアルトを助けたければ晩に再度訪れるように言う。コンスタンツェはその晩、サリエリのもとを訪れ自ら服を脱ぐ。しかしサリエリは裸体をさらけ出したコンスタンツェを残して部屋を去ってしまう。辱めを受けたコンスタンツェは家に帰りベットでさめざめと泣く。→公開編はこのシーンがカットされているため、のち、サリエリを自宅で発見するコンスタンツェの驚きと、サリエリに対する憎悪の理由が弱くなってしまっている。
・皇帝の娘の音楽教師役にモーツアルトが落選する下り。サリエリが皇帝に「モーツアルトは危険な男だ。実は私の教え子にも・・」と吹聴するなど、サリエリはさらに悪質な裏工作をしている。
・皇帝の音楽教師に落選し、音楽教師先を探すくだり。サリエリに紹介されて訪問した先は犬だらけの貴族家。ピアノを弾いても犬が大暴れしてレッスンにならない。モーツアルトは「また犬の調教をして欲しければ呼んでください」と言い放ち、怒って帰ってしまう。のちの場面、モーツアルトは全く仕事が無くなりお金に困って同家を再度訪問。しかし、モーツアルトの傍若無人ぶりを耳にしていた主人は「そんなに世の中甘くない」とモーツアルトを追い返す。
・徐々に狂っていくモーツアルトに「あなたの力になりたいの・・」と懇願するコンスタンツェの場面。→公開編ではこの場面がカットされているため、モーツアルト死の間際、「私をあなたの傍にいさせて」という言葉をコンスタンツェが吐く理由が薄くなっている。
・十字架を火にくべてしまう前に、十字架に向かって「神よ、あなたは残酷だ」と訴えるサリエリのシーンが公開編では半分位カットされている。ディレクターズカット版には同シーンが4、5場面あったと思う。サリエリの苦悩が分かる良い場面だったのだが。
・(細かいシーンだが)序盤、コンスタンツェの母が舞台に上がり、目を回して倒れるシーン。モーツアルトは役者が持っていたバケツの水をコンスタンツェの母にぶっかける。
・(細かいシーンだが)コンスタンツェがサリエリのもとを訪れる直前、気乗りのしない声楽のレッスンの指導をしていたサリエリが菓子を食べながらピアノを弾いている。
・(細かいシーンだが)モーツアルトがサリエリにお金の無心をするシーン。「それなら今作曲している内容を教えろ」というサリエリに対し、その要求を拒否するモーツアルト。このエピソードが複線となり、サリエリがモーツアルトの家に無断侵入、フィガロの結婚の創作を知ることになる。
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