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[コメント] イージー・ライダー(1969/米)

人々は「自由」を求めるが「体現化された自由」に対し寛大な者は少ない。それ故にその「代償」も大きい。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「自由」をはき違えた最近の若者が起こす犯罪と同様に、自由への「恐怖」「羨望」「嫉妬」から生まれる「怒りの感情」も又不条理なものである。

ジャック・ニコルソン演じる弁護士ジョージは言った。

「彼ら金星人は高度に発達した技術のおかげでその日常を競争なしで満たす事ができる。」と。

とかく人間には他人の生き方や趣味趣向に突っ込みを入れたがる者が多い。わざわざ口に出して物言いする者もいれば暴力をもって訴える者さえいる。そしてその対象がマイノリティであればある程、より過激な「非難」の形となって対象者を抑圧するのである。

星条旗を背負い長髪を風になびかせながら気の赴くままにハーレーを走らせる「ワイアット」と「ビリー」。そんな彼らのフリーキーな生き方にある者は共感し、ある者は憧れ、そしてある者は疎ましく思う。「ジョージ」を含めた三人の喫茶店でのシーンは、彼らが体現した「自由」に対する社会の視線が二極化された縮図のようにも思える。

自分達とは異なる「異端者」に対する「排他的感情」。人間の醜い性がラストシーンの最も不条理な「暴力」の描写によって暴かれている。

これこそ「自由の代償」と呼ぶべきだろうか。

※余談…ノーヘルで颯爽とハーレーを駆るワイアット。だが野宿を襲撃された以降はヘルメットを着用するようになった。あくまで推測だがこれは彼の中で「自由」に対する畏怖が芽生えた表れなのかも知れない。

(評価:★4)

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