コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 長距離ランナーの孤独(1962/英)

わからない。
24

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







*同じ監督の『蜜の味』という作品はこの映画に非常によく似ているので好きな人にはお勧めです。音楽とストーリーのギャップはもっと激しいです。

本来「走る」ことは爽快さにつながると思う。だが私はラストの「止まる」ことに快哉を叫んだ。何故走らなくてはならないのか、何故走らされなくてはならないのか。結構ありきたりな終わりかただとは思うけれども、強く心を揺さぶられた。

院長は悪ではない。常識の範囲内の考えだし、主人公を信頼するシーンもあり紳士的で不愉快な描写もなかった。彼は少年たちを本心から矯正させようとしている。塀の中ものにある理不尽なあれこれはないし、全て合法的だ。それどころか主人公には栄誉を与えようとしている。このあたりは『カッコーの巣の上で』と共通する。しかし彼は主人公を統率しようとした。決して統率は悪いものではない。むしろ感化院では統率した方が良策なのかもしれない。

主人公が感化院に収容されるまでのシーン(ここが長すぎるのが欠点だとは思うが、一応彼の特徴は掴める)、様々な悪事を働いている。本来私は映画の中で犯罪というか悪さに対して不寛容であるが、彼に対し怒りや憤りは覚えなかった。悪い奴には見えないのだ。

何に対して反抗するのか、何に対して怒るのか。

そもそも反抗しているのか、怒っているのか。

イギリスは階級構造が強いらしい。そういえば社会言語学では必ずといってよいほどイギリス社会の階級別の言葉の調査事例が引き合いに出される。加えて、家庭にいどころのない不安定感、そして将来に対する強烈な不安。自分の座標が分らない。時間の過ごし方が分からない。インテリがテレビで語っているのを無音にするシーンには大笑いしたが、巧い描写だ。

主人公は走ることで自分ではない誰かの人生を歩まされている。自分がどうなるかわからないのに、他人が選んだ道を選ばなければならない違和感。もう少しゆっくり考えさせてよ。

私がラストを肯定する理由は共感があるからだ。犯罪は肯定しないが、不安感は理解できる。『イージーライダー』には共感できないがこの作品には共感できる。よくぞ立ち止まってくれたと彼に感謝したいぐらいだ。私に擬似的な満足をもたらせてくれたから。その後の運命なんて関係ない!

ラストで見せた主人公のささやかな微笑みにカタルシス。

*何年か前にニュースで見た映像を思い出した。それは大雪の日に出勤中のサラリーマンたちが、雪かきして歩くための道を作る人のあとに連なり綺麗に一列になり歩いているもの。私は何かの象徴のような印象を受け非常に不気味さを感じた。『長距離ランナーの孤独』はそんな自分の体験を吹き飛ばしてくれた。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)G31[*] マッツァ[*] べーたん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。