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[コメント] シテール島への船出(1983/ギリシャ)

アンゲロプロスが描きたかったことも、彼の映像の美学も、一番最後のワンカットに詰め込まれている。(2005.5.16.)
Keita

**ネタバレ注意**
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 32年ぶりに祖国に戻ってきた老人スピロスだが、時代の変革によりもはや祖国に居場所はなかった。故郷の村もスキーリゾートになるべく売られようとしている。スピロスの存在は、その村に一本だけ立っている孤独な木に象徴される。スピロスは帰郷を果たしても孤独なのだ。仕舞いにはギリシャの土地を踏むことさえできなくなる。さらに国外へ行くための船の乗船まで拒否される。彼が放り出されたのは海の上。小さな木の筏の上にひとり揺られて。

 アンゲロプロスが常に持ち続けているテーマは難民や国境といったものだが、スピロスの姿はもはや行くところがない、ただ彷徨うしかない、帰る家を持たない存在。完全に帰るべき土地を持たない疎外された人々は、一体どこに行けば良いのだろう? その疎外感をどう表せば良いのだろう? アンゲロプロスは本作でも彼の生涯にわたる主題を突きつける。

 そして、あのラストシーン。「一緒に行きたい」と訴えた妻と共にスピロスは筏に揺られたまま、遠く遠く海を彷徨うことを選ぶ。霧がかかった荒んだ海の情景、次第に画面の中で小さくなっていくふたりの老人の姿。戻る場所が存在しない彼らは、頼るべきものが互いの温もりしかないのだ。実に哀しい情景が目の前に浮かぶ。シーンとしてはものすごくシンプルだ。しかし、アンゲロプロスはその映像によって映画全体を包括した。実に素晴らしいラストシーンだ。

 また、この映画で語られるメインとなるスピロスの物語は映画監督アレクサンドロスによる想像の映画内映画という位置づけにある。この構成により、特に序盤で理解に時間を要するのだが、映画内映画という前振りがなければ、あのラストシーンはあり得なかったように思う。映画の中の現実という位置づけだったならば、リアリティを完全に失ったのではないか。虚構の中の虚構だからこそ、あのシーンがエンディングとして成り立つのではないだろうか。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] ina

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