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[コメント] こうのとり、たちずさんで(1991/スイス=仏=伊=ギリシャ)

美しいという言葉すら似合わないほどのラストシーンの映像美。これを見た瞬間に、「いくつ<国境>を超えたら、<家>にたどり着くのだろう…。」という映画に込められたメッセージが一気に込み上げてくる。(2005.6.12.)
Keita

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「いくつ<国境>を超えたら、<家>にたどり着くのだろう…。」とマストロヤンニ演じる<男>は語るが、これがそのまま映画の要約になっている。そして、アンゲロプロスの作品通じての主題にもなっている。

 この映画における国境とは国と国の境という意味だけでなく、比喩的な意味も持っていると言える。そこには人生における人間と人間の境界線という意味もあるのではないか。TVジャーナリストと難民の少女との無言の愛にもその空間には境界線がある。時を経て再会した<男>とジャンヌ・モロー演じる夫人が向かい合った橋の上にも彼らの関係を遮る見えない境界線があった。人生はいくつもの境界線を越えることで先へ進んでいくものかもしれない。しかし、どれだけ超えれば、心が安心を得る<家>にたどり着くことができるのだろう。アンゲロプロスの言わんとすることは、僕らはある意味では難民であるということに思える。人間は人生に彷徨っている存在なのかもしれない。

 ラストシーンでは、黄色い服に身をまとった国境沿いの難民たちが電柱工事のため電柱の先に登る。空へ飛び立つかの格好をしている彼らの姿を見せながら、カメラはゆっくりゆっくり引いていく。空はやはり曇りがかっている。これの難民たちの状態はまさに“たちずさんでいるこうのとり”である。難民としてどこに行ったら<家>にたどり着けるのかがわからない状態を象徴しているように思える。それは彼ら難民だけではなく、広い意味での難民として人間全体に言える状態かもしれない。アンゲロプロスは『シテール島への船出』のラストシーンでも足元が定まらない感じを映像で表現していたが、人々がどこに行き着けば良いのかを提起するラストシーンとしてこの映画のラストシーンも見事である。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ゑぎ[*] Orpheus

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