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[コメント] ヴェニスの商人(2004/米=伊=ルクセンブルク=英)

シェイクスピアの凡庸な喜劇を、それなりに魅力のある「シャイロックの悲劇」に変貌させたのは、ひとえにラドフォード監督の手腕よりはアル・パチーノの熱演によるところが大きい。その証拠に、ポーシャ主従とアントーニオらの恋愛騒動という原作の見せ場のひとつは、シャイロックの描写に較べおよそつまらないのだ。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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もしラドフォードが、シャイロックに代表されるユダヤ人の悲劇を描きたいと思ったのならば、「シェイクスピア原案:あるユダヤ人の物語」とかいった新作として撮るべきだった(もちろん『ヴェニスの商人』のタイトルありきの作品の集客力なのだろうが)。シェイクスピアの作品において、シャイロックは人気のある悪役には違いないが、所詮は物語途中で退場させられてしまう脇役に過ぎないからだ(ハイネのような高名な文学者でも誤読しているが、シェイクスピアは深い文学的なキャラクターを与えられた人物として、シャイロックを描いてはいない。台詞の迫力が勘違いを生むのだが、彼はただ「強欲で冷酷な人物」という役割を振り分けられた道化役であり、そこにユダヤ人という属性を与えたのは、おそらく生涯に一度もそんな人種に逢っていないシェイクスピアの、伝え聞きからの悪戯心に過ぎない)。この映画が原作と全く台詞を変えていないという点を強調される方が多くおられるようだが、ユダヤ人に関する詳細なその悲惨な待遇について作品冒頭で滔々と述べ立てることは、実にあざといまでの観客の意識操作である。もちろんこんな文章をシェイクスピアは書いてはいない。(さらに言えば、シャイロックに唾を吐きかけるアントーニオの場面も、原作にはないスタッフの創作である)

これに対し、世界各国から求婚者が絶えない美女であり、なおかつ男装してフィアンセであるアントーニオの不利な裁判を、逆転勝訴に持ち込んでしまう才媛でもあるポーシャは、作品が喜劇でなければおよそ存在し得ないタイプのヒロインだ。そんな女とアントーニオらの喜劇的なやりとりは、シャイロックを迫真の演技で見せれば見せるほどしらじらしく、馬鹿げたアクトに見せてしまうことにラドフォードは気づかなかったのだろうか。気づいていて、わざとシャイロックの悲劇の前にはつまらない出来事だとしていい加減な演出をしたというなら、この監督にシェイクスピアを撮る資格はないし、この程度の監督だ、ということであった方が彼にとっても幸福だろう。

ともあれ、映画としてはやたらに胸をえぐる部分と、つまらなさこの上ない部分が混在するいびつな作品に、この『ヴェニスの商人』は仕上がってしまった。監督の専横(プロデューサーサイドの横車なら申し訳ないが)は、かように奇形的な作品を生んでしまうという見本のような作品である。

(評価:★3)

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