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[コメント] まぼろしの邪馬台国(2008/日)

堤幸彦は作品の出来・不出来が激しすぎる演出家であるように思える。コメディエンヌとしての吉永、破天荒な竹中は別に他の作品でも楽しめるものである。ここからは邪馬台国を追うのがふたりであるべき明確な理由が見えてこない。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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確かに若い妻を演じる吉永には、往年のコメディエンヌの片鱗が見えているけれども、そうした役回りは1960年代のほうが格段に魅力的だった。竹中に次々と卵を投げつけるシーンなど可愛らしくはあったが、やはり日活時代には劣ることは明白だ。かといって卑弥呼は竹中の想像上の産物とは言え、許しがたいものであったことは後述する。

竹中の破天荒さはいわばアルバムの中に並べられた写真群であり、何処かの映画のそれをそっくりそのまま切り抜いたようにも感じた。その最期もステロタイプすぎて著しく興が殺がれた。折角奥さんからどのように演じてもいいとのお墨付きを貰ったのだから、もっと悪乗りしてもいいと思うのだ。

それはタイトルになっている邪馬台国にも通じる。もっと竹中と邪馬台国の関係はエモーショナルなものでいいし、場面によっては吉永への愛情を凌駕するものであっても良いはずだ。それがラストの不満へと繋がるのだが、文字通り二兎を追っている竹中にとって、最期には吉永以上のものとして邪馬台国があってもよかっただろう。「吉永=卑弥呼」の図式を自分が嫌うゆえんである。別にロマンと現実は別なのだから、心中に夢見る女性を妻とオーバーラップさせる必要はないだろう。

吉永の化けっぷりに+1点。この映画では彼女が今現在の奥さんまでをも演じることは判っていたので、若い吉永に目くじらを立てるのは愚の骨頂であろう。

(評価:★3)

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