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[コメント] 赤い天使(1966/日)

「女の武器」と肉体を謂う。それは戦場において有効であるのか?
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







結論を言えばまったく無力であった。ただ、自分を守らせる楯として男をはたらかせ、自らを生き延びさせたという意味では有効ではあったが(しかし、もっと別の意味があったことは後述する)。

若尾は従軍看護婦として、兵士たちからその美貌、というより物珍しさから目をつけられて犯される。それはどんなにか屈辱的であったろう。だが彼女は死にゆく強姦犯を救おうとする。その望みは果たせず、彼女は「ひとり人を殺した」という…そうなのだ。彼女がいなければ彼は再び前線に送られることはなかったかも知れなかった。そして彼女は、両腕のない兵士の自慰を助けてやり、ホテルにまで連れていって思う存分男の欲望を満足させてやる。その結果、男は満足して自裁する。「ふたり殺した」。

だが、彼女はここでもう気づいてもよかったのではないか。肉体は武器などではない。陸軍病院という、ひとの命が次々に医者の判断で左右される場所での、ちっぽけな生の再確認ではないのか。銃弾のまえにそれは無力には違いないが、飯を食うのもそれを言うなら同じだ。要は、どう幸福に死ねるかの問題なのだ。

若尾は最後に軍医を愛する。毎夜打つモルヒネから彼を救ってやり、彼の男性機能を回復させてやる。軍医は指揮官に代わって陣頭で指揮をとり、結局は戦死する。これも若尾は自分が殺したというのだろうか?彼女の行為を「すばらしい」と一方的に誉められはすまいが、生き残った彼女を責めることもまた、誰にもできない筈だ。

彼女は戦地でも人間として生き、男を人間に立ち返らせて死なせてやったのだから。

(評価:★4)

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