コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] キリクと魔女(1998/仏=ベルギー=ルクセンブルク)

キリクは「価値の転換者」として、総ての周囲の者を幸福に導く。おのれをも。
水那岐

それは誕生の時より約束されている。彼は「自ら生まれ出ることを望んだ者」として、母の胎内より自ら出で、自ら産湯につかる。そして子供の常であるかのように大人たちに質問をぶつける。だが、それは「考える」力をすでに持っているキリクにとっては、物事を具体的に見極めるための手段だ。

そして形づくられた知恵をもって全てを等価値に判断する。彼が救ったリス親子より贈られた、「美味しい」木の実から「不気味な」蜘蛛までに「ありがとう」を言うのは、魔女に殺されたと思われていた村の男たちとともに、魔女自身までも救ってしまうのと同じである。キリクは知恵をもって、外見や噂に惑わされることもなく、モノから全き価値を見出すのだ。無価値どころか恐ろしい蜘蛛は、体を刺してくる毒虫を喰らうがゆえに価値がある。同様に村に災厄をもたらしていた魔女の、その魔女たる所以のトゲを抜くことで彼女をほっぽり出すのではなく、キリクは自分の伴侶たる美しい女として彼女を求めるのだ。彼は男たちを女たちのもとに戻すことで報酬を求めたりはせず、きっちりとおのれの目で見出した価値を手にしているというわけだ。

ここで魔女の最後の魔法で、キリクが凛々しい青年に成長したのは必然と言っていい。彼は生まれたとき、子供であると同時に大人でもあった。小さい体は魔女と戦うために駆使し、彼女が美女に戻ったからには、彼女を愛するに相応しい美青年となるための封印を解いたわけだ。

この寓話は知恵と実践の勝利という、きわめてオーソドックスな主題を掲げている。そしてブラック・アフリカの今後を示している、といったら考えすぎだろうか。ヨーロッパ人の前に子供であった彼らは、いつしか成長し世界のなかでの価値を重くしているのだから。ユッスー・ンドゥールをはじめとするネイティブアフリカン・ミュージックも、その嚆矢と呼べるものであるだろう。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)SUM[*] ナム太郎[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。