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[コメント] 大地のうた(1955/インド)

本編のかくれた主役は母親だろう。当然の事なのだ。貧しい家を描いているのだから。いつも家に居て、皆の食事を作り、洗濯をして、アレやコレや世話を焼く。家の中では、母親が中心だ。だから貧乏を一番に感じているのも、彼女なのだ。
KEI

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







〜有り 「日に2食、年に2着の服が買えたら・・」と言う。「芋汁ばかりじゃねぇ」とも言う。嫁入りときに持って来た、なけなしの銀の食器を売りに行く。夫は売れない小説を書き、―浮世を離れて満足している人―と彼女に評される情けない男。だが、学問はある。そんな男と結婚したのだから、彼女も少しは学問が有り、ちょっとはいい暮らしをしていた良家の娘だったのだろう。 だから「恥を知れ」と彼女が言うシーンが随所に出て来る。居候がいる。親戚の老婆だ。そのガサツさが彼女には嫌で嫌でたまらない。つい口調が荒くなる。その老婆の愛想笑いのシーンは心に食い入るベストショットだ。 その死の場所に関して、彼女に責任があるのは間違いがないが、彼女だけを責めるのは酷な気がする。諸々運命だったというしかない。

老人の死は、いつも静かだ。 ‘死んでしまへば雑草 雨降る (山頭火)’。

それに比べ若いドゥルガの死は、雨、風、雷が鳴り響き、シューベルトの「魔王」を思い出す(形は違うが)。魔物(ヒンドゥー教なのでアスラか)が冥界へさらって行くのだ。

老婆の仕打ちの裏返しとは、思いたくない。軽い風邪だったのに・・というが、これも運命だったのだろう。人の生き死は、人の力ではどうにもできないものなのだ。

ドゥルガの死以後の母親は、放心状態に陥る。しばらくして夫が帰って来ても、出迎えもままならぬほどだ。

次作 第2部は、彼ら家族は引っ越しをするらしい。「昔はいろいろ夢も有ったけど・・・」と夜なべの時にふと漏らした彼女が、次の場所で、もう少し幸せになれたらいいなぁ、と思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)寒山拾得[*] けにろん[*]

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