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[コメント] 旅芸人の記録(1975/ギリシャ)

作品に持ち込まれた「神話」は物語に骨組みを与えるが、作品を一元的な要素に還元してしまうことにもなりかねない。ポストモダニズムの作家たちはこうして神話的構造を持つ作品に対して論評を行った。
Kavalier

本作において、アンゲロプロスは神話的構造を採択することによって物語の補強を試みながら、時系列を一見ランダムに刻むことで物語あるいは歴史を一元的な価値観へと還元してしまうこと回避し、作品内で連続性と非連続性の同居を試みている。 隣接する強国やイデオロギーの変節に翻弄され続けたギリシャの近代を題材とするにあたって、映画はある時は市民に属しある時は市井の部外者として流転を重ねる旅芸人を主人公に据え、上記の手法を最大限活用している。 旅芸人たちの旅を通して描かれ再現される個々のシーンは、ある事象は徹底して直接的な表現となって巨視化され、ある出来事は口頭や伝承によって間接的に語られる。ここでも多くの技法が使用され、こうして手変え品変えされて次々と提示されていく技法のオンパレードはまったく見事だとしか言いようがない。

もちろん、ここで使用されている相対主義に基づいた様々な手法は、作品の製作当時のアンゲロプロスにとっては、題材を描くための切実な道具であったはずだ。しかし、ここで使われている表現ははたして現代でも有効なのだろうかという疑問もまた付きまとう。ここで行われているものは作り手の意図はどうあれ、語りえぬもの語りえないものとして表象させめたものでしかない。映画が製作され20年が経過された今、本作に歴史記述としての有用性以外に、ここに見出せるものはミスティフィカシオンを目的とした表現の寄せ集めでしかないのではないか。そう考えてしまえば、ここで行われている多くの手法は、なんらかの表現意図に基づいたもの以上に、撮影環境やバジェットの制約に多く起因するものとしてすら見えてしまう。演劇よろしく様式化された、左翼の運動者達と軍隊の闘争が描かれる一連のシーンは十分なモブを動員できなかったためであり、作品内でラジオや口頭で語られ直接的に描かれることもない歴史事実の描写は撮影環境の制約からではないか、と。

20年後に目を向けた時、アンゲロプロスは新作『エレニの旅』においても、歴史の表象不可を具現化させる行為のみに興じている。20年経った今、他のフィクションの作り手に目を向ければ、例えばジェフリー・ユージェニデスは2003年に『ミドル・セックス』で、アンゲロプロスと同じく、神話的語りを用いクロニクルを扱いながらも、表象不可な歴史を血が通ったドラマとしての立脚点を見出す作業を行い、その創作作業に成功している。そして、アンゲロプロスは同じ場所に踏みとどまっているかに見える。

この映画が「記録」であるならば、「記録」としての最大限の価値をここに見つつ、この監督の現在製作中の三部作に「記録」以上のものが見られんことを。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)町田[*] けにろん[*]

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