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[コメント] WATARIDORI(2001/仏)

題材を切り貼りしていくドキュメンタリー製作の基本過程で、作り手達の偏向した文化観、動物観が浮きぼりにされていく。
Kavalier

鳥を擬人化して描くことで、人間の社会的な価値観を相対化しようとしているようだ(映画の作り手にそういう意図がないだろが、彼らの視点・価値観がどうしても題材の描き方に出てしまうと言い換えたほうがいいのか)。これで は、アメリカのアニメーションにおける動物の使用法と同じだ。 (※別に擬人化を咎めているのではない、擬人化も作為も映画の表現としてはありだろう、ただあまりにその結果、映画が貧しくなっているわけで)

作中に登場する鳥達は、バストショットや主観視点が使用され、技法的な擬人化を行うことで、観客をある程度は、彼らに寄り添う、或いは感情移入させる作りになっている。例えば、猛禽類を除くほとんどの鳥類は、視界が270°近くあるのだが、この映画で、鳥達の主観視点が挿入された時に、視界は通常の人間と同じに撮影されている。こういった撮影レベルにおいての表現が、結果的に鳥の擬人化に大いに貢献している。製作に関して、製作者達は多くの鳥類学者にアドヴァイスを求めたらしいが、その上でこのような表現を採択したのだとすれば、非常に巧妙な撮影手法と言えるだろう。(ってネタですよ)

まあ、鳥類の生物・生態的なことを扱ったドキュメンタリーではなく、擬人化と、自然をとにかく西洋的価値観に従事して美しく撮ることによる、擬似ヒューマニズムによる自然賛歌がテーマらしい。こんなに鳥達は(人間に比べて)偉大なんだ、こんなに彼らが生きている場所は、(西洋美意識的に)美しいんだ、ってこと。ただ、その自然賛歌を通して、映画の作り手達の非常に偏向した文化観が随所に見られて少しウンザリする(別に「地球にヤサシク!」とか叫ぶのは勝手であるし、それが市場的な効果としてある程度有効だろうが、もっと上手くやってくれよと思う。あっ、市場的な成功を収めたから上手くやったのか・・・)。

例えば、製作者の偏向は以下のようなシーンに顕著に表れている。 鳥達が飛ぶ背景は、フランスではパリ市内を自由の女神からエッフェル塔へと、オランダでは干拓地、ベトナムでは水田と木造の家屋、中国では万里の長城上空を飛行している。この中国上空のシーンでは、非常にオリエンタリズムな音楽(和漢折中な音楽と言えばいいのか)が使用されている。

まあ、監督は、『キャラバン』のプロデューサーもやっているので、あの映画と同じで、非常に古臭いオリエンタリズム的な価値観を持っているのだろう。そしてフランスで大ヒットしたように、この手の価値観は、21世紀になってもかの地では有効らしい。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)煽尼采[*] ちわわ ゑぎ[*]

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