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[コメント] 青幻記・遠い日の母は美しく(1973/日)

船が浜辺に着くシーンから始まる。乗客が降りる。風の加減で、波止場ではなく浜で降ろすことになった、と云われる。まるで、着色したかのような水色の海。乗客の中に、主人公のミノル−新井康弘と、お母さん−賀来敦子がいる。こゝは沖永良部島。
ゑぎ

 タイトル開けは、西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)の田村高広。大人になったミノルだ。戸浦六宏が迎えに来ている。後で36年ぶりの帰郷というセリフがある。以降、思い出の場所を訪ね歩く田村と、回想(過去シーン)と、彼が見る、ドッペルゲンガーのような幼少期の自分のシーンで構成される(同一画面、同一シーンに子供の頃の自分がいる)。

 過去シーンは大きく二つのパートに分かれる。まずは、鹿児島のお祖父さん−伊藤雄之助の家で、母と引き離されて生活する時期の思い出。伊藤の妾の山岡久乃が意地悪なのだが、ちょっと生ぬるい造型だ。女中役なのか(親戚か?)三戸部スエが助けてくれる。三戸部は岸輝子だとばっかり思って見ていた。そっくり。現代パートの、田村と戸浦が伊藤の墓に参るシーンは、ドリー横移動のフルショットで、まったく成島らしい、美しい構図の移動撮影だ。

 もう一つのパートは、冒頭の続き、沖永良部島のパートで、小学生のミノルが、祖父の家を出て、母の実家で暮らすようになった時期。こゝが本作のメインのプロットと云っていいだろう。島の道を歩く二人から始まる。母親−賀来敦子は、病気で(肺病か)、すぐに疲れるのだが、歩く二人に島の植物のカットを執拗に挿入するカッティングには違和感を覚える。賀来の母−ミノルの祖母は、原泉だ。原は、何を喋っているか殆ど分からない。その他、島の人の言葉は、同様に方言が強く、意味を取りづらいが、字幕を付けずに映される。これはこれでいいと思う。ただし、賀来の幼馴染として出て来る、藤原釜足だけは、標準語に近いスクリプトを喋るので意味が取れる。これも方便として悪くないと思う。ちなみに、藤原と賀来は2歳違いという設定だが、賀来が17歳の時の回想場面があり、そのシーンでの藤原は19歳か、と考えると、さすがに勘弁してください、と思いなが ら見た。

 あと、この島でのパートこそ、撮影の見せ場の連続で、死者を呼び出す浜村純の儀式や、断崖上で賀来敦子による舞踊が披露される宴会のシーン、あるいは、クライマックスと云っていい、干潮時にサンゴ礁の潮溜まりで、魚を獲っていると、あっという間に潮が満ちる場面など、特筆すべき撮影だと思うが、それぞれのシーンが長いと感じるのだ。このあたりをもっと切り詰めていれば、かなり評価も違っていただろう。もっとも、1973年度のキネ旬ベストテン第三位の作品ではあるが、今見ると公開時の過大評価だと感じられる。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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