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[コメント] トウキョウソナタ(2008/日=オランダ=香港)

思想と現実との絡みにおける映画の限界。ただしその限界は輪郭を伴って我々の前に現れる が理想はなよなよしくソナタとして消える。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







父性、母性や家庭内とその表現に私たちは思い当たる節があるし、その表現は黒沢清ならではというものでは無い。勿論それをどうカメラに収めたかは全く彼の表現だし、それは質の高いものだと思うし評価したい。

こういう経済効率を追い求めたが故に自分達の尻尾を食べながら縮こまっていく光景を描く必要はあった。既にドキュメンタリ等では描かれていたが、映画というのは同時代性は欠けている表現であり2008年の登場。

とはいえこういう表現はその状況にいる人は共感するだろうが、関係の無い人は観もしないだろうというものなのだ。状況の理解という意味では観る必要がある人は一杯いる。

表現として際のラインでこの映画は妥協する。息子はいきなりアメリカ側から中東側に行きたいと言い出すし、久しぶりに会った友人は無理心中。最後に息子はイノセントにソナタを弾きこなす。

ただ、この映画が描いているのは現実に起こっているものに近いものを表現しているので、そんな昇華の仕方をされても困る。現実にはもっと悲惨な情景がある。生活出来ないような金で1年中働いて死に掛けている人がいる。ここの状況を超えた現実が存在する。

何故映画監督は思想のバックグラウンドを明らかにしないといけないのだろうか。評論家絡みだろうか。日本人はこういう薄い表現を好むのは確かだと思う。商業的にはこの映画は正解だ。

ただ、今日本が向かっているのはそういった場所では無いし、学問としての映画表現で昇華しきれるものでも無い。

ゲバラでもソナタでも美しい日本でもなんでも良いが、経済が限界ゆえに思想に寄りかかられてもそんなものがもっと実態が無いのは自明のことだろう。

もっと挑む姿勢が欲しい。ただこの表現自体の価値は認めます。

(評価:★4)

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