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[コメント] キング・コング(2005/ニュージーランド=米)

娯楽性をとことん追求したような盛りだくさんの内容でかなり充実した三時間。ピーター・ジャクソンは『ロード・オブ・ザ・リング』に続き、キングコングのように大きな足跡をまた一つ、映画史に残した。(2006.1.14 加筆)
JKF

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







スピルバーグやルーカスの全盛期を過ぎたころに生まれた人間としては、彼らを凌ぐとも言われる商業映画監督の作品をリアルタイムでこの上ない喜びを感じる。衝撃や興奮や見たこともない映像をビデオでなく、しっかりとスクリーンで味わうことができるわけだから。

オリジナルは見ていないが誰もが知ってる『キング・コング』。これを「大ファンだった」というピーター・ジャクソンが作るのだから、映画への愛に満ちているすごい作品がやってくるのだろうと期待せずに入られなかった。最初にこの映画の予告を見たときは、撮影中にダイエットを敢行したというピーター・ジャクソンの痩せっぷりにも驚いたが、やはりとんでもなくすごそうな本編への期待がどんどん高まっていった。

俺の期待度が高すぎたのか、残念ながら期待を超える作品ではなかったけどやっぱりスゴイ映画だった。恐竜と人間の徒競走やら恐竜対コングのバトルはとにかく燃えた。目まぐるしく変わるアングルの中で展開されるアクションは自分の予想の範囲をはるかに上回るものばかり。猛スピードで何匹も連なり、狭い通路をぶち壊しながら走る首長竜。そしてそこに割って入るラプトル。ナオミ・ワッツを食べるのに三匹がかりとこれまた卑怯な戦いをコングに挑んでくるティラノ・サウルス。また、こいつらを倒した後で照れて背を向けるコングも微笑ましい。恐らくクリエイターはその工程の途方のなさに泣きながらパソコンの画面と向き合ってCG作ったんだろうな、と思った。

ピーター・ジャクソン映画として観たときのハイライトは当然ながら谷底のシーン。あれゾンビだろ?な先住民も捨てがたいけど。サソリをでっかくしたような多足生物とか、ミミズとイモムシを掛け合わせて巨大化させたようなのとか、ホント本筋と関係なくて無駄むだムダ。だが、その無駄が面白いし、『ブレインデッド』の頃から結局ピーターは本質的なところでは何も変わってないんだな、と思わせてくれる。

それにしても、スカル・アイランド到着以降の映像は情報量がおびただしくて、スクリーンを凝視しながら一、二回観た程度では味わいつくせない。何しろいいシーンがアクションシーンだけじゃないんだもん。崖の上でアンとコングが過ごすスカルアイランドのシーンもさることながらニューヨークでのシーンはホントに素晴らしかった。スケートのシーンも朝焼けに染まるエンアピアステートビルでのシーンもとてもじゃないが、あの谷底のシーンと同じ作品だと思えないくらい美しかった。それにしても1930年代であそこまで発展している国に戦争しかけた日本ってなんだったんだろうね。バカとしか思えん。

どの作品見ても間が悪くて情けない役どころのエイドリアン・ブロディー、サマラの次はコングに付きまとわれるナオミ・ワッツ、熱演だし主役なんだからキャストで一番最初に名前がクレジットされるべきであるアンディ・サーキス、いつの間にか成長したねえって感じのジェイミー・ベルなどキャストも良かった。他のキャストも名前は知らないが『ブレインデッド』の神父並に漢らしい奴らばっかだった。唯一文句あるのがジャック・ブラックで、イマイチ毒がない。もっとやらしくて、殺されてしまえってくらいの男にしてしまったほうがよかった。

ロード・オブ・ザ・リング』三部作、『キング・コング』と、自身が映画化を熱望していた作品を完成させたピーター・ジャクソン。多くの映画人が熱望しながらも果たせぬ夢をとんでもない規模で、2つも続けて素晴らしい形で達成してしまった。次回作は規模が縮小されそうだが、果たしてどのようなテイストの作品になるのだろうか?まだ未知数な部分が多いので不安ではあるけれども、次回作がもっとも楽しみな監督の一人だ。(2002.12.19)

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キングコング』観賞後、一晩がたった。昨晩観た映画のことを思い出そうとすると、個々のシーンの印象は克明に蘇ってくるのだが肝心の映画全体の印象がどうにも薄い。確かに『キング・コング』はすごい映画だった。だが、心に残るには何かが欠けている。今日学校で授業を受ける傍ら、その理由を考える羽目になるのだった。というわけで、勢いで書いてしまった昨晩のレビューにちょっと書き加えます。

何よりもまずジャック・ブラックに代表されるような一般人(すなわち、コングとアンや、それを見守る観客にとっては敵となる存在)の描写が少なかった。例えばコングを金儲けに利用しようとする人間、怒り狂ってコング殺害を願う人間だとかみたいなね。なんていうか、ピーター・ジャクソンはコングにのめりこみすぎる余りにもう周りが見えなくなっちゃってる感じ。あんなもん街に出てきたら誰だって驚いて「殺せ!!」と思う。とりあえず一枚、記念写真撮った後でね。そういう腹の立つ人間が出てこないままに二人の世界ばっかり描いてしまうから、「どうかコングを殺さないでくれ」と願って涙を流すよりも、あくまであのクライマックスを当然の成り行きとしか受け止められず、感情移入がピークに達しないままでクライマックスを迎えてしまうんだ。

それとやっぱり、アンがコングに対し恐怖心から特殊な感情を抱くに至るまでの説得力がない。確かにコングは漢らしい。芸を披露するアンを何度も指で倒すところを見ても純粋そのものの存在だ。そして何より、アンは命を救ってもらった。でもさ、コングいなけりゃ生贄にされなかったから、あんな目に遭うことはなかったんだよ?どうやら上記二点に関しては悪い意味でファンタジーになっちゃった感が否めない。

何はともあれ、三時間の長さを全く感じないし、娯楽映画としては一級品であることに変わりはない。年末年始にかけてオリジナル版『キングコング』を観賞した後で、またさらにレビューを書き直そうと思う。(2005.12.20)

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冬休みを利用してオリジナル版『キングコング』を観た。当時としてはすごかたのだろうな、というのが率直な感想。妥協することなくスケベ親父みたいな顔のキングコングを動かし、いろいろなものを破壊する映像を創り出した姿勢には脱帽するが、現代人としてはやはり作品そのものに古めかしさを感じてしまう。

そして、たとえオリジナルに対するリスペクトやオマージュがあろうとやはりピーター・ジャクソンの『キングコング』は彼オリジナルのものだと確認した。俺は常々映画というものは娯楽性の他に、同時代性と作家性を担っていてこそ面白いと思う。分かりやすく言うなら、その時の時勢に合わせたメッセージを訴える戦争映画とか、どんどん新たなヒーロー像を模索し多様化しているアクション映画とかに存在する同時代性と、それを生み出す作家性みたいなもの。特に最近は映画というビジネス自体が岐路に立っていることもあり、そういうものが顕著だ。PJ版『キングコング』は明らかにオリジナル版とは違う。大まかなストーリーのみを説明するならこの二作には変化がないようにも聞こえるが、登場人物は名前が同じだけで全然肉付けが異なる。恋愛模様だって、昔とは違う(んでしょ?たぶんさ・・・)。

後からオリジナル版『キングコング』を観賞した身としては特に思い入れがあるわけではないので、新たに湧き出した不満もなく感想が変わることもなく、むしろオリジナル版との相違から作品の作家性だとか時代性だとかについて考えるいい機会となった。そして改めて、三時間ありとあらゆる娯楽的要素を突っ込んでこんな映画を完成させられる監督が世界に果たしてどれだけいるだろうと考えると、やはりピーター・ジャクソンはやっぱすげえということに帰した俺がいた。

(評価:★4)

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