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[コメント] 生きものの記録(1955/日)

「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という言葉がある。だが、巨大な社会的病理が個人をすり潰していく様は、どれほど滑稽であっても、笑うに笑えない喜劇となる。
シーチキン

密かに進行させている黒澤明監督全作品劇場観賞プロジェクトにしたがって、ようやく見ることができたが、この作品は2011年3月の東京電力福島第一原発の事故の後では、まったく異なる意味あいを持つことになる。

劇中の「水爆」を「原発」に置き換えてみるとどうなる。作中ではほとんどの登場人物が「何もそこまで」と思っていた行動が、今では、福島第一原発事故以降では、既に現実になされている。

ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下、ビキニ被爆、スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故。これだけの悲劇を体験しながら「日本の原発だけは違う」と言い続け、今、取り返しのつかない事故で散々な目にあっている。この今の姿は、過去の教訓に学ばぬ、愚かしい所業であり、この意味で滑稽でもあり、喜劇でもある。

しかしこの喜劇を誰も笑えないだろう。

1955年に撮られたこの映画をいつ見たのかで、まったく違うものになる。まさに「映画は世につれ」である。だからこそ本作を見て「世は映画につれ」になることを製作者たちは心底願ったのではないだろうか。その願いに微力ではあっても、観賞者の一人として応えていきたいものだ。

また、三船敏郎は他の多くの出演映画と比べるとまるで違う人間に見える。最初に登場した時も落ち着いてセリフをしゃべるシーンになるまでは、それが三船だと確信がもてなかった。演技者としての技量のなせるものか、それともこれが黒澤マジックか。少し腰を曲げて特徴的に歩く姿から漂う雰囲気を全編にわたって維持し続けており、何ともすごかった。志村喬がいつもの志村喬なのとはまるで対照的だった。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぱーこ[*]

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