[コメント] キャプテン・マーベル(2019/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
近年のハリウッド特撮は、女性ヒーローもの(ヒロインとすると弱々しいイメージがあるので、ここは the MAN ベッキー・リンチ姐さんに倣ってあえてヒーローと書きます)に力を入れてきた。
男ばかりが活躍する物語を、女ばかりが活躍する物語に変えて大バッシングを受けた『ゴーストバスターズ』(2016)のあとも挑戦を続けてきた。 『パワーレンジャー』(2017)では恋愛シーンを取っ払ったばかりでなくイエローにLGBTを代表してレズの女の子を配してボディースーツによる女性体形の強調から女性性を抜くという実験までやりとげた。 『ワンダー・ウーマン』では男に媚びない女性の単体ヒーローを誕生させ、『パシフィック・リム:アップライジング』では、大人顔負けの活躍をする女子にすることでヒーローの座を子どもにも解放した。
それは真面目な努力の連続だった。
でも、本作はそうじゃない。あえて何にも考えてないかのような強さがある。
キャプテン・マーベルは、バカ強い。理屈を超えてひたすら強い。すげーーーーーーーーーーーーー強い。
特撮映画黎明期に「鳥だ飛行機だ、いやスーパーマンだ」って叫んでたころのスーパーマンみたいに、ただただ強い。人が束になっても、どころか一国の軍隊をすべて敵に回しても余裕で勝てると思わせる人間離れした超絶強いヒーローそれが『キャプテン・マーベル』だった。
女だってさ、超絶強いヒーローに自分を重ね合わせてもいいよね。空想の世界は自由だもの。私は強ーーーーーーーーーーーい。
そう、本作は、『ワンダーウーマン』よりは『アナ雪』のポジションの映画だったのだ。それを特撮でやってのけたのが本作だ。
今まで男が独占していた理屈抜きにバカ強いヒーローを、自分に重ね合わせることが、やっと女にもできるようになったんだ。
俺は男なんだけれども特撮好きの娘がいるので、ありがとう『キャプテン・マーベル』と言いたい。
『キャプテン・マーベル』がバカみたいに強いおかげで、男社会の現実が見えてきた。これは、『ワンダー・ウーマン』にはできなかったことだ。彼女の強さは圧倒的じゃない。スーパーマンとガチで闘ったら結局スーパーマンが勝つんだろうなくらいの強さじゃ全然ダメなんだ。
みんながキャプテン・マーベルを自然にキャプテンとして受け入れるのは、キャプテン・マーベルがバカみたいに強いからだ。
ただの一番強いじゃダメなんだ。超絶バカみたいに飛び抜けて強くないと女性は男性に試されずにキャプテンとして認められないっていう現実、どの男よりも優秀なのにどうして女のあたしは認められないのよの隠された理由が、キャプテン・マーベルのおかげで浮かび上がった。
だって、キャプテン・アメリカはそれほど強くないのに同じキャプテンの称号で呼ばれるんだぜ。これってズルくない?
でも、この映画のよいところは、男社会でトップになるにはぶっちぎりの能力差を見せつけろってメッセージで終わらないところ。そんな話なら疲れてしまう。
しかも、やさしさだとかかわいさだとかが関係ないところ。カワイイなんて猫に任せとけ(しかも引っ掻く)という配置は見事だ。
最後、ジュード・ロウが素手でかかって来いよと挑発したところ、『レイダース』のあの名シーンのようにエネルギー砲ぶっ放して、ドカンと吹き飛ばしたシーンは秀逸だ。
武器があれば、肉体的な優劣は関係ない。女の弱さは文明社会にはナンセンスだったってことをコロンブスの卵ばりに気づかせてくれた。これって、男のルールで勝てなくて傷つきいじけてた男子にも朗報だ。
そう、人生は何でもありなんだ。ルールに縛られる競技じゃない。慣習的に皆が従ってきたルールの中でぶっちぎりの能力差を見せつけなくても、使えるものを何でも使ってぶっちぎればいいんだよ。そうすれば男女なんて関係ない。闘うルールは今自分で作ればいいんだよ。
『ゴーストバスターズ』(2016)は、大バッシングされたのに『キャプテン・マーベル』は大ヒットしたのは、本作がリメイクじゃなくて初映画化だからってばかりではないと思う。何でもありのバカ強さが(傷つきいじけた男が活躍する女を叩く、そして傷つき愛を見失った女が男という記号を叩く)世界を救う道を示したのだ。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。