[コメント] 籠の中の乙女(2009/ギリシャ)
「言葉」の劇。言葉の辞書的・常識的には誤った意味を教える「教育」のシーンが、外界を箱庭的世界の歪んだレンズを透してしか見せない両親(そもそも実親なのか?)の行為を象徴する。
地表の境界線の遥か頭上を飛び越えていく飛行機も、箱庭的サイズの存在でしかなくなる。「犬/猫」の犬側に立つのも、境界線を自由に行き来する猫に対して、番犬は境界線を守るからだろうか。三人の子らの異様な言動も、大人から聞かされた言葉に忠実でありつつ、自らの欲求にも従った結果という必然的なものだろう。
ブルトンの「熔ける魚」風の唐突な言葉の組み合わせで編まれた台詞にしても、シュールかつ詩的なカット群にしても、瞬間的なセンスの煌めきには惹かれるが、全体を通してみれば、そうした思いつきレベルの瞬間が数珠つなぎにされているだけのような安直さが鼻につく。この特異な世界の歯車がどう動くのかという構造的な発想があれば傑作になり得たのだろうけれど、それを欠いたが故の平坦さが、次第に退屈になり睡魔に見舞われた。
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