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[コメント] 愛と希望の街(1959/日)

鳩を、自身を、愛と希望を売り。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







大島渚、27歳の作品。既に、後の作品に見られる、社会的な問題意識を巧みな暗喩に置き換えて、一個の人間ドラマに仕上げる手腕が、遺憾なく発揮されている。

監督自身が予定していた題名は「鳩を売る少年」。この地味な題名に会社側から待ったがかかり、最終的にこの「愛と希望の街」に決まった時には、大島監督もあまり良い気分がしなかったらしい。少年が生活の為に、繰り返し売る鳩は、暗喩として様々なものに置き換えられ得るけれど、それを「愛と希望」と言ってしまう事も、可能だろう。言わば、反語としてこの題名を受け取ってみるという事。

物語の軸は、鳩を売る少年、正夫と、会社の重役の娘である京子の交流。観客は、ついそちらにだけ注意が向きそうになるかも知れないが、正夫の担任教師、秋山と、京子の兄、勇次の会話は、作品の主題を、より直截に語っているように思う。彼らが望む個人的な幸福と、持てる者、持たざる者という立場(或いは階級)の違い。その狭間で苦しむ大人であるこの二人が、少年と少女の物語の影のように寄り添い、補完している。

たとえ、やむにやまれず売ってしまう事があろうとも、必ず帰って来る筈の鳩。飛び立つ鳩と共に街の風景が映し出される時、「ああいった貧しい人たちは、他にもたくさん居るんだ」という台詞が脳裏に甦る。

最後に、勇次の猟銃によって撃ち落とされる鳩。持たざる者たる少年は、平和の象徴とされる鳩が頼りだったのだが、持てる者、勇次は、娯楽の道具としての猟銃で、それを撃つ。京子は、鳩に関して少年が嘘をついていた事に憤るが、少年に嘘をつかせたのは、貧富の差。鳩は、京子にとっては、人間同士の信頼や優しさなどの象徴であったのかも知れない。だが、少年はそれで食っていける立場ではなかったのだ。果たして、少年がこの猟銃を手にする機会があったとしたら、彼はそれで何を撃つだろうか。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)づん[*] ぽんしゅう[*]

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