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[コメント] 鬼畜(1977/日)

反復される愉しげな旋律が、むしろ呪いのように聞こえ、まだ何も起こっていない冒頭から既に、何やら不穏かつ凄絶な空気が立ち昇る。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭シーンで無邪気に遊ぶ子供らが裸でいるのは、夏だからだというのが劇内の理屈だろうが、演出的に言えば、つまり子供らは無防備な存在であるということだろう。

宗吉(緒形拳)とお梅(岩下志麻)が、視線の交錯によって無意識に子殺しを促し合う遣り取りが凄まじい。菊代(小川真由美)が子供たちを置いてどこかへ消えてしまうシーンでは、駅の方まで彼女を追って見失った宗吉が自宅に戻ると、お梅が、両手を握りしめるようにして、子供たちの寝顔をジッと見ている。両手に持っていたのはスタンドなのだが、ここでもう、「見る」ことと殺意とが殆ど同じになっている。このシーンで、本当にこの子らが夫の子なのか疑うお梅が吐き捨てる「似てないよ!」は後に、遊園地の歪んだ鏡の前に子らと立つ宗吉の脳裏に甦る。

最初に幼児が死ぬことになるシーンでは、まず、宗吉が従業員から「奥さんは二階にいるよ」と聞いて、不安げに階段を昇るところに端を発する。棚から何かを取ろうとしているお梅。棚からシートがふわりと落ちる。それは単なる偶発事なのだが、背後の夫に気づいたお梅が「何だい?」と視線を向けたその時の宗吉の表情と、シートが被さった幼児の姿。この視線の連鎖が、宗吉の意思をも超えて、「子殺し」への暗黙の了解を成立させてしまうのだ。

宗吉が利一(岩瀬浩規)を最初に崖に連れていくシーンでは、金色に光る海の輝きが、殺意と逡巡とが苛烈に火花を発しているであろう宗吉の壮絶な心境をそのまま波の輝きに転じたかのようで、強烈なインパクトがある。だが、このシーンがふつっと切れて、サスペンスが宙ぶらりんにされた観客の眼前に、父子が普通に店に入ってくる光景が現れる。その後、二人は再び海の傍に姿を見せるが、海は青く、砂浜は白く、崖のような高低差もなく、安心して観ていられる光景である。ところが、二人は三度、海を見下ろす崖に到着してしまう。崖ではあるが、海は青い。それが、時間経過と共に、夕陽によって金色に染められていく。この色彩変化に従ってサスペンスも増していくのだが、息子が崖の端に近づいているその背後に宗吉がいる遠景のショットの挿入によっていよいよ事が起こるかと思えた直後、宗吉は崖から息子を引き離す。夕陽はさらに沈み、風景は金色から、赤へと変わる。赤い夕陽のショットを眺めつつ、観客は宗吉の心境の変化を感じとり、安心しかけるが、そこで息子に、布が被さる。そうして宗吉は、布が自然と落ちた時のように、腕の中の息子をポトリと崖下へ落とすのだ。

結局、利一は松に引っかかって生きていたわけだが、ラストシーンの日本的情緒でベタベタな展開には、芥川也寸志の感傷過多な音楽と併せて、多少疑問は覚える。宗吉の息子ポトリで終えた方が秀逸であっただろう。

養護施設からやって来た男性が、少年に対し「君と同じ子がたくさんいるの。だからすぐに友だちができるよ」と言って励ます言葉は、捨てられた子がそれだけいるのだという事実を突きつけて、全く救いがない。少年が乗せられた車が走り去るラストカットでは、画面の右側に、やはり「海」が現れる。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ダリア[*] りかちゅ[*]

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