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[コメント] ガス燈(1944/米)

ガス燈の柔らかな灯りが照らすバーグマンの顔。この茫漠とした照明が、狂気と正気の定かならぬ事と一体となる。夜霧が更に灯りを茫洋とさせる街路の美しさも何もかも、ヒロインの不安と疑惑の息苦しさを表わし、観客の喉元を真綿で締め上げるように苛む。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







光源である火がガラスの中で揺らめくさまも蠱惑的。ガス燈の灯りそのものの茫漠とした光のみならず、ゆっくりと灯が燈る、その徐々に明るさを増していくリズムもまた、柔らかくも妖しい雰囲気を醸し出す。つまりガス燈は、空間的のみならず時間的にも作品世界を支配している。

加えて、これは反復の物語でもある。ヒロインであるポーラは夫グレゴリーとの出逢いによって幸福感に浸り、「悲劇が理解できない」と言って歌の練習に身が入らず、殺された伯母のような歌手への道から逸れるのだが、次第に自らの身を以て、伯母の身に訪れた「悲劇」を味わう。そして最終的には、少年の時に伯母に憧れていた男に救われ、彼との親密な関係を結ぶであろう事が示唆されて幕が下りる。悲劇がもう一度繰り返されるかに思えたが、最後の最後に辛うじて喜劇の予兆が見えるのだ。

犯人が宝石を取り損ねたのが、少女の頃のポーラが階段を下りて来た音を聞いてその場を去ったせいだった、という辺りがまた脚本の絶妙な匙加減。つまり、実はポーラはグレゴリーと既に間接的に接触していたのだ。伯母の悲劇は、ポーラ自身が関り、干渉していた出来事だったのだ。

ガス燈の光は、観客をヒロインの幻惑の内へと取り込む、白熱したブラックホールのような感染力を示す。一度は救い手であるジョゼフ・コットンの登場に安心したのも束の間、メイドのエリザベスが主人に「そんな男の人、知りません」と告げる言葉に加えて、ガス燈に照らされたバーグマンの不安に充ちた顔を見るともう、容易く元の疑惑に取り込まれてしまう。勿論、理性は「この後再び彼が登場して疑惑を晴らすに違いない」と、物語の定石には思い至るのだが、感情の方は逆に、ポーラの不安に感応してしまっているのだ。

この映画の照明は余りに魔的。ポーラの窮地とシャルル・ボワイエの脅迫的な存在感と一体となった光の引力。その余りの息苦しさに、特に中盤では、「何故こんな息苦しい思いをしてこの映画を観続けているのか?」という不条理感にさえ見舞われた。恐らく、物語を知らないで、そのガス燈の灯りが用いられた幾つかのショットだけを観れば、ただただ美しいと感じた筈だが、鑑賞中はその美しささえもが、ひたすらに禍々しい。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)3819695[*] りかちゅ[*]

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