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[コメント] ルシアンの青春(1974/仏=伊=独)

殺す為に生きているような青年と、生きる為に殺すという事の感触。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ルシアンが最初に殺す小鳥は、掃除の合間の暇潰しのように、パチンコで撃たれている。草叢で兎を次々に射殺しても、その屍骸は同行してきた少年に任せていて、自身は興味を向けていない。つまり、食糧にするとか、肉や皮を売り物にするといった、生活上の必要があってではなく、単なる嗜虐趣味で生き物を殺している様子なのだ。

彼が、殺した生き物を役立てようとするのは、母親の傍で鶏の羽を毟ったり、学校の教師の許に兎を持って来、レジスタンスに加えてくれと頼む時。ルシアンは特に愛国的な気持ちを見せたりはしておらず、屍骸を教師への手土産にする行為からも、単に鉄砲が撃ちたくて参加を望んでいるようにしか見えない。

人手は足りている、若すぎる、とレジスタンス入りを断られたルシアンは、偶然にも、ナチスに協力するヴィシー政権側の大人たちと知り合い、彼らと故郷の話をしていただけのつもりが、図らずも密告者となる。図らずも、という辺りに、戦争に於ける敵対関係などに全く無頓着な幼さが表れている。

この大人たちが屯する屋敷の二階に通じる階段は、彼らの飼い犬によって塞がれ、ルシアンは、そこで拷問が行なわれているのを、最初の内は知らずにいる。生き物と見れば見境なしに殺していたルシアンが、ここで初めて生き物と向かい合う訳だ。ドイツ警察としての力を誇示するようになるルシアンだが、ユダヤ人の娘・フランスとの出逢いによって、力で破壊し得ない対象を見出す事になる。

娘の「france」という名はおそらく、ドイツに占領されたフランスという国の暗喩になっている。だが何もこの物語は、ドイツ軍に協力する青年が自らの国を見出す、などという筋書きではなく、占領された国、虐げられたユダヤ人、ピアノの才能を封じられた娘、といった「弱い者」の存在を見出す物語だと見るべきだろう。

あの屋敷の二階の浴室では、ルシアンが意図せずして密告してしまった教師が、水に顔を沈める拷問を受けていた。その光景をルシアンが目にしたのは、屋敷の年増女に誘われて、彼女の部屋に向かう途中でだ。見ているしかないルシアンの傍には、あの犬が座っている。後の場面でルシアンが、この屋敷にフランスを連れてきた時、彼女は年増女に「図々しい!」とか「ユダヤ人は病気持ちよ!」と罵倒されるが、泣き崩れるフランスをルシアンが慰めるのが、あの浴室なのだ。あの拷問の時と同様に、相手の首筋の後ろに手を当てる、という仕種を反復するルシアン。だが彼は、フランスを愛撫して慰めているのだ。そして、欲望むき出しの年増女ではなく、自分が恋したフランスと、その場で結ばれる。更には、階段に座って犬を撫でるフランス、など、幾重もの反復、意味の組み換えが行われている辺りは、さすがルイ・マル、と言って良い所だろう。

フランスの父・オルンが仕立て屋だという設定は、ピストルをポケットに常備しているルシアンが、着替えの為にそれを取り出して置いたり、寸法を確認するオルンの手に、無防備な状態で触れられる、といった描写の為のものなのだろう。いつの間にかオルンの家を我が家のようにしていくルシアンは、最初の内は、ポケットにピストルを入れておく事に神経質だったのに、遂にはパジャマ姿でうろつくようにまでなるのだ。

フランスの祖母は、ドイツ語しか話さない、コミュニケーションを拒絶する人物だが、彼女の部屋を訪ねたルシアンが、二人でテーブルに向かい、彼女のコーヒーに勝手に角砂糖を落として、その飛沫に老婆が顔をしかめる場面は、そのコミカルさもさる事ながら、ルシアンの横暴さは決して「狂暴さ」ではないのだ、という事をも感じさせる。

ルシアンが母の許で鶏の羽を毟っていたように、母もまた、彼の許を訪ねて来た時、鶏を手土産に持って来る。殺す、という行為は、序盤から既に、家族的な営みとしての意味合いも仄めかされていたのだ。フランスとその祖母と逃避行に出たルシアンは、彼女らの食糧にする為に動物を狩る。彼が、殺した獣をきちんと食糧として焼いている光景に、何か安心感に似た感情を覚える。

この、家族的で、劇中、最も穏やかなシークェンスでは、足許に群がる蟻に驚くフランスと、ルシアンの笑い声や、フランスの祖母が、葉に乗った虫をしげしげと観察する姿など、それまでは殺戮の対象でしかなかった自然の生命が、純粋にその存在自体を一つのショットとして捉えられた場面が現れる。

だからこそ、ルシアンは、自分が行なってきた無邪気な殺戮、抑圧の罪を感じ始めたのではないか。その事を匂わせるのは、眠るルシアンを見下ろすフランスの、冷たい視線、手にした石、彼女から身を隠すルシアン、という一連のシーン。その後のシーンで二人は草叢に仲良く並んで横たわっているが、それはつまり、ルシアンは、フランスが自分に殺意を向けたと「錯覚」したという事であり、自分には殺意を向けられる理由がある、と自覚し始めた、という事だ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)寒山拾得[*]

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