[コメント] 世界最速のインディアン(2005/米=ニュージーランド)
映画を見終った人むけのレビューです。
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楠みちはるの『湾岸ミッドナイト』というコミックの中に、こんな台詞がある。
「クルマに命をかけることと、それで死んでもいいということは違う。クルマが好きなら、絶対にクルマで死んではダメだ」
レースには常に事故がつきまとうわけで、レースものを描くならその作品の「事故(=死)」に対する明確な立ち位置を示す必要があると思う。人の命が簡単に失われてしまう「レース」というテーマだからこそ、人の命を軽んじてはいけないと思うのだ。倫理的にどうこうという話ではなく、「事故死」を軽んじた瞬間にレース作品は魅力を失うことになると考えるのである。
この作品の主人公は、320km/hというスピードに皮のつなぎさえ着ないで挑もうとする。しかもパラシュートどころかブレーキさえまともに効かないマシンでだ。制動不能のバイクでそのスピードに挑もうとする男を、私は「命知らずの熱いヤツだ」などと諸手を挙げて応援する気にはなれなかった。
彼を出走させようとする者の中に「彼こそが本当のバイカーだぞ」という男がいた。だが、本当のバイカーなればこそ「事故」や「死」と真剣に向き合っているものではないだろうか。「事故ったって俺が勝手に死ぬだけだ」なんて、バイク好きだけには絶対に言ってほしくない台詞だ。
ジジィになっても夢を追うのは大いに結構だし、ひとりの男としてそんな生き方に憧れもする。だが、あまつさえバイクでの世界最速記録という“枠組み”の中に夢を求める男の物語ならば、その“枠組み”のルールを軽んじるような描き方をするべきではないと思う。ここで言うルールというのは「大会の規則」だけではなく、「320km/hで転倒したら人は間違いなく死ぬ」というバイクという乗り物についてのルールだ。
だから私は、あのスピードで転倒しながら脚のヤケド以外まったくダメージを受けなかった普段着の彼の姿を見て、にわかに興ざめしてしまった。「コケたら死ね」と言っているのではない。ラストシーンの絵面のためだけに、ほぼ最高速のまま彼を転倒させたこの映画に対して、「スピードを描くならスピードを馬鹿にするな」と断固言いたいのだ。彼が夢を叶えたことは、ただ無鉄砲なわがままを通すことではなかったはずだ。
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