[コメント] アベンジャーズ(2012/米)
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チーム化の過程そのものを主題とすることで、「見せ場の(再)分配」という物語創作における政治技術を露骨に開陳している。その物語は本土防衛戦争として語られるエネルギー資源獲得競争、とでも要約できるが、率直な感想を述べれば、しかし、実のところこれはやはり仮装大賞に過ぎない。
第一に、オールスター感が乏しい。これがオールスター映画を名乗っているのかどうかは知らないが、そのように見られたいと望んでいる映画であることは疑いなく、しかし仮にこれがキャラクタのオールスター映画であったとしても、キャストのオールスター映画では断じてない。私からすればクリス・エヴァンスもクリス・ヘムズワースもぽっと出の若僧に過ぎず、ジェレミー・レナーでさえ(『ボーン・レガシー』の公開後ならまだしも)オールスターの一員面をするのは時期尚早だと思う。既存スターの活用ではなく新スターの製造を志向する思惑も理解できるが、ここはやはり将来の可能性よりも築き上げてきたキャリアを重く見るべきではないのか。何も『大脱走』まで遡る必要はない。つい最近でも『エクスペンダブルズ』という最良の手本が公開されていたではないか。観客が常に役と本人(の履歴)を重ね合わせて見てしまうような対象がスターと呼ばれる。それには年季と出演作品数こそが物を云う。
第二に、絶体絶命感が乏しい。戦闘の焦点は「難敵を攻略できるか」ではなく、「チームが一致団結できるか」にある。しかしそれはいかにも障害のハードルが低いというか、マッチポンプの気味が強すぎはしないだろうか(「御託並べてねえでさっさと団結しろ」)。面々の個性ゆえに結束が困難であるという理屈は通じるし、それがこの作の眼目でもあるのだから、ここに批難を加えようとは思わない。その代わりとしてぎりぎりの絶体絶命感は絶対にほしい。そのための道具立ては慎ましくとも一向にかまわない。物語を宇宙規模に拡大する必要も、未知の生命体や超強力な兵器を登場させる必要もない。すべては演出次第である。ここ一〇年のアメリカ映画で最も絶体絶命を感じさせたふたつの瞬間、すなわちJ・J・エイブラムス『M:i:III』オープニングシーンとリー・アンクリッチ『トイ・ストーリー3』焼却炉シーンを思い返せば、それはじゅうぶんに明らかだろう。
この『アベンジャーズ』にしても、最も観客を動揺させるに違いないシーンは実に古典的な道具立てをもって慎ましく撮られている。グウィネス・パルトロウに掛けたロバート・ダウニーJr.の「最後の電話」が繋がらない、というのがそれだ。芸もなく息苦しいだけの顔面接写、それは頭部まで覆う全身スーツのせいで失われた表情芝居を回復させるための苦肉の策に過ぎなかったはずだが、ダウニーJr.から饒舌を奪って宙吊りのままに流れる数秒間はそれがために捉えられたものだ。この無言の数秒間こそが『アイアンマン』シリーズでさえ持ちえなかったこの映画の最良の時間である。
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