[コメント] ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(2016/英=米)
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とは云えそれは、動物を物語に絡める仕方や、動物に施されるアクション演出といったエッセンシャルな部分で優っているからというより、動物たちに向けられるエディ・レッドメインの母性的なまなざしにどうしても感動があるからだ。
レッドメイン側のキャラクタはいずれも好感度が高い。意想外の高クォリティで展開されるダン・フォグラーとアリソン・スドルのロマンスにももちろん胸をときめかせ、また掻き乱されたが、ここでは大半のシーンで困り顔を強いられたキャサリン・ウォーターストンをひときわ愛でたい。ラストシーンにおいてレッドメインと再会を約して別れたあと、俯瞰のロングショットで捉えられた彼女がその場を歩き去りながらひょこんと小さく飛び跳ねたのを私は見逃さなかった。めちゃ可愛いっ! コリーン・アトウッドの手による衣裳も洒脱でいい。
さて、そのような次第で、大満足の活劇からは程遠いながらもそれなりに不味くない水準で推移してきた映画はクライマクスの戦闘を終えるが、そこで激しく傷ついた街を魔法使いたちが直していく文字通りに魔法的な光景を目にしたとき、決定的な動揺が襲ってくる。現代の日本に生まれ暮らす観客としての私は、否応なくそこに(戦争・紛争以上に)自然災害からの復興を重ねて見てしまう。もちろん、現実の復興が市民・労働者・公務員・政治家等々ひとりびとりの働きの積み重ねによってしか果たされないことを鑑みれば、このように魔法的な再生を、魔法で「何ひとつ不幸は起こらなかった」ようにできるのを夢見ることはむしろ不謹慎でさえあるかもしれない。しかし、それは、きっと「映画」だからこそかろうじて許される夢だ。私はいよいよ落涙を堪えきれなかった。
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