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[コメント] 田園に死す(1974/日)

私の悪趣味にど真ん中ストレート。でも、ちょっと「性急(せっかち)な思想」っぽい?
サイモン64

「たった一つの嫁入り道具の仏壇を義眼(いれめ)の写るまで磨くなり」という、冒頭に朗読される一句からも、その露悪的とも言える不健康さが漂ってくる。

作者が精神のほとばしりとしてこのような歌を詠んでいたのか、あるいは特定の状況を突き詰めることで(ときにはニヤニヤしながらも)このような歌を創作していたのかは私にはわからないが、時に不健康を求める私の精神にはぴったりと来る歌集が原作の「田園に死す」である。

中学生の時この映画の広告を毎日新聞の夕刊紙面に発見して、私は自らの内面に激しい鼓動を感じた。そして後日偶然にも梅田のお初天神に近い大月レコードで発見したこの映画のサントラ盤のカバーデザインは私の中で未だ形をなしていなかった退廃的な趣味に一定の形を与えてくれたように思う。いわゆる丸尾末広や花輪和一的なあらゆるものを認識する素地がこのときからできあがっていた。

長じてこの映画のDVDを入手し、何度も繰り返し見ているが、今も色あせないイメージの鮮烈さには驚かされる。退廃的情景や東北地方の因襲を描いて余すことのない本作は、冒頭でチェロを弾く山高帽の男のように、時にはっとするような美しい映像を見せる。

ただどうしても気になることがある。「間引き」「口減らし」のシーンはどうしてもこの映画に必要だったのだろうか?いくら退廃をテーマにしていると言っても、私にはこの場面がどうしても受け入れがたい。かつて石川啄木は「性急(せっかち)な思想」という論説で、目的を失った破壊のための破壊は意味のない性急な思想だと述べていた。既存の価値観や倫理観に背くことも時には表現として必要ではあるが、超えてはならない一線というものもあると思う。確かに、かつて日本にも「間引き」というような事が行われていたという事実はあるのかも知れないが、だからといってこんなにも飾り立てて表現するような事なのだろうかと、子供を持つ親として非常に疑問に感じた。

(評価:★4)

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