[コメント] シティ・オブ・ゴッド(2002/ブラジル=仏=米)
虚無という言葉すら存在しない真性無感情の次元においてこそ本物の暴力が存在する。銃が「異物」ではなく日常に平然と納まる風景。殺人が悲劇ではないという悲劇。明るく閉塞した空洞感に震撼。円環構造も脱出の不可能を示唆して効果的。そしてその世界を生きるコドモはやはりコドモでしかないという最大の悲劇。しかし安全圏から知った顔の解釈を口にすれば八方から撃たれる感のある「実話」を”過剰に”戯画化する姿勢に疑義。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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ダンスシーンなどの狂騒も含めて冷徹に淡々と撮るべきなのだ。陽気な地獄、という世界は、そのなかから「勝手に」立ち現れてくるべきだろう。例えばこれは、虚無という言葉を超越した無痛・無感情を徹底的に陳腐な筋立てのなかで現出せしめた『アウトレイジ』のように「戯画」として語られるべき物語ではない。冷笑と哄笑の中で語られるべき物語でもない。かといって、深刻顔して説教されても到底納得できる物語でもない。つまり、これは残念ながら、本来つまらない映画であるべき、であると思うのだ。過剰に「映画的」過ぎる。しかも、どこか「興じている」ようにも見受けられる。この「巧さ」をこういった形で開陳されても、私としては苛立たしく受け止めるほかない。とにかく題材と技法のバランスに必然感がないのである。
これが実話でなく、人間性の業を描く意味では、たとえば日本における「神の街」、阿部和重の「シンセミア」のような諧謔的世界であれば傑作に昇華したのに違いないのだが。・・・つーか、誰か「シンセミア」撮ってくれないの?
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