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[コメント] WALL・E ウォーリー(2008/米)

ブレードランナー』のレプリカントが写真をかき集めるように、ウォーリーは貪るようにガラクタ(人類の記憶)を集め、束の間の星空を録画(記憶)する。もちろん目と手の映画なのだが、結末を待つまでもなくこれは記憶についての物語でもある。記憶が人を形作る。人が人であることの記憶を無くした人類の誰よりも「人」として描かれる「機械」の一挙手一投足にハッとさせられる。「人が人であることを思い出せ」と。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ウォーリーの活躍によって、図らずも人が人としての記憶を取り戻す。象徴的なのが船長が自立して歩く場面で、これがアクションで語られることもあってめっちゃ感動的だ。ウォーリーの記憶喪失シーンがショッキングなのは、その所作が機械的になる、というよりは、より踏み込んでウォーリーが「人」でなくなった、ウォーリーは「人」であったのだという気づきが対比して与えられるからだ。記憶が人を人たらしめる。この切実は押井守や『ブレードランナー』が好きな人なら実感されやすいことと思う。もちろん目と手の映画なのである。ただ、『ブレードランナー』のロイがそうであったように、ウォーリーがイヴと「手をつなぎたい」と欲したのは、恋云々でももちろんいいのだけれども、自分を記憶にとどめてほしい、という根源的・人間的な思いがあったからなのではないか。(この観点に立てば、僕の「泣きポイント」はフリーズ中のカメラが「メモリ(記憶)」におさめたウォーリーの姿をイヴが再生(思い出す)するシーン。また、頭がボケているらしい人間の一人が、船外で「ダンス」するウォーリーとイヴをみて、「あれ、なんていったかなあ、そう、確か・・・ウォーリー。そうだ、ウォーリーだよ」と名を呼ぶシーンである。名前を呼ぶだけで感動的、というのはよい映画の証だ。)

ウォーリーが録音したオールディーズの曲を流し、船内のラインシステムをジャンクドロイドとかき乱しながら駆け回るシーンが好きだ。ここでも映画から「思い出せ」と語りかけられているような気がする。

「思い出す」と書いたのだが、オールディーズなど実生活でも縁もゆかりもなく、劇中劇で引用される『ハロー、ドリー!』も見たことも聞いたこともない。つまりこれは「他人の記憶」に過ぎない。にもかかわらず、なぜこれらのイメージは、自分の記憶に潜行するように心をかき乱すのだろうか。これは、元をただせば、他人の記憶であり、さらにはフィクション・虚像・影絵に過ぎないはずの「映画」を、何故観て感動するのか、という映画の神秘にも触れているような気がする。うまく書けないのですが、この映画、物凄く深くていい映画なのは、確かだ。

(評価:★5)

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