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[コメント] 旅役者(1940/日)

成瀬喜劇の一大傑作。グロテスクなラストはメキシコ時代のブニュエルに先行している。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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原作もいいのだろう。優れた落語の世界を、主演が嬉しい藤原鶏太が江戸っ子気質な自信と放言と猪突猛進でもって余す処なく定着させている。柳谷寛の朴訥さがまたいい。兄貴思いの言動がそのまま兄貴の見栄を拡大してギャグになるというパターンが優れていて、「本当の馬に馬ができてたまるかってんだ」なんてナンセンスな科白の決め方など見事なもの。私の見る限り、後脚のほうが前脚に合わせなければならないのだから難しいと思うのだが、そんなことはおくびにもださない。

物置に幽閉されて朝になり、「水でも浴びようぜ」と二人で出かけて、むっつりして小石など蹴飛ばしながらどんどん山のほうへ歩き、ついにはため池に飛び込んで着物を洗濯し、乾くまで傍に座っている。この件はついホロリとしてしまう。成瀬の遣る瀬無さの表現のひとつの頂点だと思う。

舞台の演目は「塩原多助一代記」。多助の妻は密通相手を唆し多助を暗殺しようとする、多助の名馬「青」は峠に差しかかると動かなくなる、通りかかった友人に引かせると動き出し、その友人が間違えられて殺される、という件。戦前には教科書にも載った立身出世物語らしく、観客は筋を知って観ている(なお、舞台袖に「演劇報国」の垂れ幕が見える)。

この映画はこの立身出世と対比されている。カフカの「断食芸人」を思い出したのだが、あれほどでないにせよ、藤原の芸の矜持も相当にナンセンスなものがあり、ラストの本物の馬との対決はグロテスクな味がある。おもろうてやがて哀しき世界だが、しかし具体的に職を失うのだから切実だ。落語の世界は純度が高くなるとアナーキーになる。その優れた一例と思う。冒頭、軍馬の出征(こんな仕来りもあったのだ)を見てふたりは「他人のような気がしないな」と呟くのだが、あの軍馬だって大陸で同じ目に合っただろう。ここにイロニーを見るのは穿ち過ぎ、とは思わない。戦前の成瀬はときどきこの切り口を見せる。本物に襲いかかる偽物、とは物凄い世界だ。

清川虹子の嫌味を嫌味とも思わない造形も抜群。嵐が来て物置が幽霊屋敷になる件の撮影は秀逸である。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)太陽と戦慄 ゑぎ[*]

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