[コメント] 話の話(1979/露)
宮沢賢治の童話のように、悪を身に纏ってしまうオオカミ。しかし賢治作品のように、オオカミに悪の自覚はまだ訪れない。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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と私は解した。
夜の自動車道路を斜めに駆けるオオカミには驚異がある。光っていた巻物が赤ん坊になるのにも唖然とさせられる。悪イコトヲ仕出カシテシマッタ。「灰色オオカミの子はお前を森に連れて行っちゃうよ」と赤ん坊をあやすオオカミはユーモラス、では済むまい。そもそも彼はオオカミなのだ。最初から赤ん坊を狙っているのだ、彼は知らなくても。本作を無垢と読むのは無理だろう(ノルシュティンで無垢な登場人物はヨージックぐらいのものだ)。
他の断片はオオカミの幻視と云うべきなのだろう。銅版の線描画が傑作でここで流れるタルコフスキーのような寂しいピアノが素晴らしい。魚持ち帰る親爺、縄跳びを廻し廻される娘と牛の関係は、動物と人間の逆転可能な関係を描くようだ。作者はこの件を哀しみでもって描いている。オオカミもまた森と人里との境界にいる。いなくなる自動車、放置されたミシン。
そして女から男を奪い取る戦争。『25日 最初の日』の主題が反復されている。批難の対象はナチスではなくナポレオンに遡る。青りんごを媒介にイメージはオオカミと兵士たちを連環されて映画は終わる。
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