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[コメント] 悪夢探偵2(2008/日)

塚本晋也の『回路』。黒沢清と似ているようで対照的。対照的なようで似ている。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







前作ではhitomiさんが散々なことしてくれて、今となっては話よりも何よりも「hitomi下手だったな」という印象しか残っていない『悪夢探偵』の第二弾。 やっぱり役者が落ち着くと映画がシャンとするね。 光石研と市川実和子がいるだけで不穏な空気が漂ってくる(笑)

お断りしておきますが、ここから先、本作を観て改めて黒沢清と対照的でありながら類似性が高い印象を受けた、という根拠のない個人的な感想を延々述べます。

単館上映の多い“作家”である点。ホラー手法を得手としている点。 すごーく大きな括りでは“同類”に見える監督達だと思うのです。 中でも本作は至極まっとうなホラーに仕上がっていて、黒沢清自身が『回路』について言っている「Jホラーと呼ばれるジャンルの中でやれることを全部やった」という感覚に似ているんじゃないかと思う。

ところが両者の映像は対照的で、静謐な黒沢清に対し手持ちカメラをブン回す塚本晋也。 受ける印象も“無機質”と“肉感的”と大いに違う。 第三者と当事者の視点の違いと言ってもいいかもしれない(実際、本作は見た目カメラと顔アップの切り返しが多い)。

ところが、描こうとするテーマの多くは類似している。共に「破壊と再生」。 正確には、「破壊」の塚本晋也に「崩壊」の黒沢清、能動的と受動的の違いはあるんですが。

ところがところが、もう一歩踏み込んでみると“壊す対象”が少し違う。 「この世界は不安定である」ことを描き続ける黒沢清は、社会や家族といった“枠組(システム)”の崩壊を描こうとする。 一方、「都市と肉体」を描き続ける(最近は肉体の内面=精神面に傾倒している)塚本晋也は、肉体や精神といった“人間”の破壊を描こうとする。

私がこうした思案にふけるきっかけは、「生きるって怖いこと。」この台詞だった。 「この世界は不安定である」ことと大変似た感情を抱きやすい。でも微妙に違う。 「生きるって怖い」という台詞は、時に破壊(暴力)衝動を爆発させる塚本晋也映画の、あるいは塚本晋也の思想の、根底を形成する言葉かもしれないとさえ思う。

市川実和子がハンバーグを作るシーンがやたら長いのですが、「生きるって怖い」という台詞を踏まえると、すごく意味深いシーンに思えてくるのです。 こんな怖い世界に産み落とした者に対する“恨み”からの“和解”あるいは“理解”。そして感謝。 破壊と再生の「再生」が描写されたいいシーンに思えるのです。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)死ぬまでシネマ[*] MSRkb[*]

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