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[コメント] 人間蒸発(1967/日)

代々木忠か!?ガチンコか!?
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







よりリアルなドラマを作り続ける今村昌平が、「ドキュメンタリーという名の下の虚構」という全く逆の手法で、やっぱり人間のドロドロした内面を描いた作品。

今村作品はたいして観ていないが、「もうやめてー!」と目をそむけたくなる場面が必ずあるような気がする。 そこには決して爽快感やカタルシスはない。 それはもうヌケないエロビデオ、バクシーシ山下、もとい代々木忠級である。(それでも虚しさは残ったりするあたりも似ている)

ドキュメンタリーは決してノン・フィクションではない。

もし「お姉さんが殺した」というイタコ(だかなんだか知らないが)の言葉がなければ、あそこまで姉を疑った(他人の言うことを信じた)だろうか?

もし露口茂という代弁者が存在せず、彼女自身がマイクを向けて事実を求めて歩いたらどうなっていたか?

いや、それ以前に、男の昔の恋人に会っている時に彼女の顔をアップで写す事自体、もう既に「制作者の意図」が入っているのである。

「どの素材をどう料理するか」、素材がノン・フィクションでも調理が加わった段階でノン・フィクションではなくなる。これを今村昌平は「カチンコ鳴らしてスタジオで撮影するのと変わらない」と言い切る。その通りだと思う。

そしてそれは彼の作る「リアリティー色の強い映画」と実はたいして差はない。

ところが面白いことに、「カチンコ鳴らしてスタジオで撮影するのと変わらない」と言いつつ、実は監督自身、この話をコントロールしきれなくなっている。

これこそがドラマとドキュメンタリーの大きな相違点である。決してフィクションとノン・フィクションという意味ではない。終点へ向けて「制作者の意図」が介入するドラマと、登場人物を動かすために「制作者の意図」が起点に介入するドキュメンタリー(それが決して狙い通りに動くわけではないが)。

この映画の毒気を抜いて抜いて抜いて、とんがった部分を削ってけずって削り落とした結果が、「ガチンコ」や「電波少年」「あいのり」といったテレビのバラエティーにつながったのではないか?と考えるのは俺だけか。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ぽんしゅう[*] ぱーこ くたー[*]

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