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[コメント] ケルベロス 地獄の番犬(1991/日)

「意図は分かるが面白さと直結してない」また同じコメントだ。今回はその理由に触れてみよう。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







押井ファンの間でも駄作の誉れ高い本作(たしかにこれを肯定しなければ真にオシイマモルを理解しとは言えぬのだろうが)、友人がDVDbox買ったというので観せてもらった。 正直眠かった。だが夢現(ゆめうつつ)の中でやっと気づいた。「何故押井守の実写が面白くないのか」に。

DVDbox付録の特典映像の中で、押井作品(実写)に出演した女優達が異口同音に言っていること。「コミュニケーションが下手」。 宮崎駿は押井作品に対し、「例えそれがあたるとラムの関係であろうと一定の距離がある」といったようなことを言っている。 かつてポシャった宮崎脚本&押井演出の企画を引き合いに出し、「押井守は優れた演出家であるからこそ、泥臭く人間関係に踏み込んだ作品が見たい」と、まだその企画諦めていないと言ったようなことも書いていた(今はどうか知らないが)。ま、言い換えれば「俺が話を書けばそういう作品が出来る」と言っているのだが。

これらを総合すれば、いや、そんなことは押井守信者であればとっくに分かっていたことではあるのだが、一言で要約できる。「人間嫌い」。

押井守は基本的に他人を信用していない。もちろんスタッフは信用しているだろうが、結果として「観客に伝える手段」として他人を信用していない。 アニメなら監督の伝えたいことを直接描くことが出来る。 だが、実写の場合、それは演じる「生身の人間」を通じて表現される。 押井守の実写にはこの部分が欠如している。 だから彼の作品では「人間」が描かれず、監督の「想い」ばかりが前面に出てきてしまう。

偶然同じ日にカウリスマキ作品を観たのだが、同じ台詞の少なさでもカウリスマキ作品は飽きないのに何故か押井作品は飽きてしまう。 正確には「飽きる」というより何か「空白が埋まっていない」印象がある。 白いキャンバスに白を残すあるいはあえて白を塗るといった感じではなく、単に塗り忘れがあるといった印象が残る。もちろんアニメなら描き込めるのだろうが。

なお、本作は押井守的には「Stray Dog(ストレイドッグ)」であり「ケルベロス−地獄の番犬」は興行的に付けられた名前なのだそうだ。ちなみにストレイドッグは黒澤の『野良犬』の英訳と同じである。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)すやすや[*] uyo[*]

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