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[コメント] 千と千尋の神隠し(2001/日)

今の一番贅沢な邦画。子供向け映画だけど。
しど

**ネタバレ注意**
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率直な感想としては、さすが、名実ともに「大御所」になった監督は、 好き勝手なことができるな、ってとこだろうか。 ストーリー展開としての面白味やメッセージ性は薄い代わりに、 豪華な作り方で、監督自身のテライの無い「趣味性」が随所に散りばめられていている。 それがむしろ宮崎駿の「作家性」を強調する結果となり、 ベルリンや米国批評家達の評価も得られたのだろう。 私も好きな作品では無かったが、「見て損の無い作品」だと思った。

さて、宮崎駿の映画には名前や設定などにかなりの「隠喩」が込められており、 (批評家気取りなら「隠喩」と書かず「メタファー」か?(笑)) それを読み解くのが別の楽しみ方らしいので、 私も、私なりに映画の意味を読み取ってみよう。

この作品は、「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」同様の、 「文明批判」が根底にあるのは明白だが、 前述二作との差は、批判対象が「文明」から「現代社会」へと、 範囲を狭めていることだろう。 「現代社会の先駆である都会」から「過去と現在が共存する地方都市」に 引っ越して来た千尋が迷い込む不思議な世界に通じる入り口は、作中の説明によると、 「バブルの際に立てられたテーマパークの残骸」だという。 「地方都市にあるバブル文化の残骸」を通り抜けた所に、 「宮崎駿が作ったファンタジーの舞台」が設定されている。

舞台の巨大な「湯屋」は八百万の神々が客としてやってくる。 湯屋全体を支配するのが魔法使いの「湯婆婆」。 「湯婆婆」には、「坊」と呼ばれる巨大赤ん坊の子供がいる。 「湯屋」自体に意味があるのか微妙だが、 深読みをすれば、湯に入りリフレッシュする場所として、 「母体(胎内)」なんてのがイメージされる。 この「湯屋」の「支配者」が守銭奴になっていて、 「母親」でもある「支配者」は、 自分の子供が偽物と入れ替わっても「気付かない」。 案外、ジブリ美術館に集まるお母さん方を眺めてて、 そんな「悪意」を思いついたのかもしれない。

さて、現代っ子な千尋が異空間に迷い込んでやったことといえば、 「仕事をする」ということだけだ。 現代社会から迷い込んだ千尋の造形は、手足が異常に細い。 単なるデザイン上の設定かとも思われるが、 挨拶も仕事もできない、ただの「子供」な千尋に対して、 「そんな細い手じゃ仕事もできないね」というようなセリフもあったので、 少なからず意図はあったと思う。 これまでの宮崎作品の中で主人公が成長する過程では、 様々な「仕事(義務)」を与えられているが、 今回程、「仕事自体には目的が無い」ことも特殊だろう。 が、この「仕事」の重要性が、逆にこの映画全体には盛り込まれている。 「仕事の行為自体に目的は無いが、人間の成長を促す『仕事』本来の目的」として。 重要なのは、千尋の仕事に「報酬が無い」ことである。 「仕事をしなければ、魔法で子豚にしちゃうぞ」という脅しで始めた仕事は、 「カオナシ」がお礼に与えようとした「金などのモノ」を頑なに拒む辺り、 「奉仕として仕事をすることが重要」だという意味だろうし、 逆に「カオナシ」から金を受け取った何人かは「食べられる」という災難に遭う。 「金儲けでは無い仕事本来の目的」を明示しているとするなら、 それは、バブル以降行き場を失った 日本社会そのモノに対するメッセージでもあるだろう。

「湯屋」の支配者「湯婆婆」には、双子の姉妹がいて、 名前は「銭婆」だが「湯婆婆」とは対照的な設定で、 質素な生活をしており性格も温厚である。 「本来、二人で一人前なのに」と、仲の悪い「湯婆婆」を揶揄するが、 現実的で強欲な「湯婆婆」と優しさを持つ「銭婆」とは、 やはり、本来人間が持つ「二面性」であり、 「銭婆」を毛嫌いする「湯婆婆」の姿は、経済活動に奔走した社会の象徴のようである。 「銭婆」の元で「仕事(奉仕)」を与えられた「坊」は性格が温厚になり、 「カオナシ」は銭婆から「しばらくここに居なさい」と誘われる。 ここでの「仕事」が、千尋に与える「髪留め」を「紡ぐ」ことなのが、 「仕事の意味」をさらに強調した場面だろう。

にしても、「銭婆」の名前は、キャラクターとしては「湯婆婆」に相応しいのだが、 その他「千」や「千尋」などの名前の意味もイマイチわからない。

「カオナシ」は何だろうと考えると、 「観客一人一人」、とくに「若者」を示しているのであろう。 お面を被って「顔無し」とした設定も、それらしい。 自分の顔は持たず、声も細々としていて、 飲み込んだ他人の声で話す時だけ、大声で主張することができる。 行き場も無く雨の中でたたずんでいる所を、 千尋から部屋の中に誘われたことで、千尋に好意を抱いたりする。 どことなく、「アニメ好きのオタク少年」のようでもあるが、 孤独で行き場の無かった「カオナシ」は、 「湯屋」で物欲の権化と化して取り乱したりもするが、 最後に「仕事を与えられて」ようやく居場所をみつける (といっても「修行の場」としての「仮の居場所」に過ぎないだろう)。 決して主役にもなれず、問題児だったりもする「カオナシ」だが、 私も含めた「一般人」の生き方はこんなもんだ。それでも、「カオナシ」って体から「金」が出てきちゃうところが、 監督の「優しさ」だったりもする。

あと、千尋を助ける男の子「ハク」は、とってつけたような印象しかない。 宅地造成で潰された「コハク川」の「神様」が本来の姿というわかりやすい設定や、 千尋が「ハク」を助ける姿を「愛」だなんてセリフで説明しちゃったり、 ストーリー展開上の「素材の一つ」としか思えなかった。 前回の「もののけ姫」もそんな感じだったけど、 宮崎駿って、「女の子」を描くことにしか興味が無いんだろうなぁ、 なんて思うのが、宮崎駿をあまり好きになれない私の理由だったりするんだけど。 それでも、この映画のテーマの一つらしい「名前の重要性」を強調したシーンの、 空飛ぶ竜が「ハク」に戻って千尋と空を舞うシーンの浮遊感は心地良かった。

ところで、「少女趣味」以外の「宮崎駿の趣味性」は、 「トトロ」のような多くの異形キャラクター達と それらが織り成すコミカルな動きに表れている。 細かい動きまで、かなり「可愛い」。 「もののけ姫」が実写のような絵作りで どことなく「背伸び」したような印象があるのに対して、 「千と千尋〜」には東映アニメーション時代の「アニメ本来の楽しさ」が満ち溢れている。 これこそ私がこの作品を好きにならない理由である。 この映画、深読みもできるから「大人の鑑賞にも堪えうる」作品だが、 何よりも「子供が見て楽しいアニメ」の見本のような作品なのである。 本来、アニメなんてのは、大人の世界にあるべきではなくて、 子供の為のメディアだったはずだから、宮崎駿の原点としては正しい方向だし、 大人である私は「け、たかがアニメじゃん(でも、結構上手いよな)」なんて接し方をしたい。 実写映画にコンプレックスを持ってたらしい宮崎駿自身も、 ようやく「仕事本来の意味」に到達できたのかもしれない。

ただ、それならやっぱり、 主役の声はきちんとした「声優」にやって貰いたいんだけど(笑)。 あと、ほとんどのシーンに流れる久石譲の音楽もしつこいしなぁ。 しかし、これだけ手の込んだ「豪華な映画」って今の邦画界じゃ考えられないし、 次回作はやっぱ見てみたくなっちゃったな。 「未来少年コナン」みたいに男の子が主人公だったら、個人的には嬉しい。(03.01.25)

(評価:★4)

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