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[コメント] アヒルと鴨のコインロッカー(2006/日)

物語…なのであろうか、これは。

物語…なのであろうか、これは。度重なる同様なシークエンスの反復は、物語としてはほぼ全てが完結してしまった後で事後的な回想として展開されるだけだ。それは結局は、主人公がほぼ非主体的に事件に関わるその仕方と同様に、受け手に提示される叙述のスタイル以外の何ものでもないように思える。これではこのお話の主人公がほぼ事件の傍観者でしかないのと同様に受け手は事件の傍観者でしか有り得ないように思える。それで受け手はいったい何が得られるというのか。奇抜な叙述のスタイルはそれ自体で提示される物語と必然的な連関をもっているだろうか。

物語には主人公がいる。だがこの叙述のスタイルでは、本来物語の主人公であるはずのキャラクターが対象化され、それにより物語そのものも対象化されてしまっているように思える。対象化された物語は、それがどんなに示唆に富むものであったとしても、じつのところは体のいいお話でしかないのではないか。(ここで言う「お話」とは、それが結局は他人事で自己完結してしまっているということが特徴として挙げられるかと思う。)お話は体よく消費されるのだが、果たしてそれは本当に受け手にとって血肉ある物語として受肉されるのだろうか。少なくとも自分には、それは体のいいお話でしかないように思えてしまった。

勿論これらは映画の問題というより原作の問題なのかもしれないが(原作未読)、原作の問題がそのまま映画の問題になっているのだろうという意味に於いては、映画は原作をよくトレースしたということなのかもしれない。

ついでに蛇足を言えば、個人的に、安易に「神様」とか「物語」とかいう言葉を劇中で喋ってしまうお話は、好きではない。それこそ神様や物語が安易に対象化されてしまっている逆説的な証のように思えてしまう。

(評価:★3)

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