[あらすじ] 一人息子(1936/日)
信州でつつましく暮らす母(飯田蝶子)と息子。上の学校へ行きたいという息子に、母は自らの生活を犠牲にして息子の立身出世を支える決心をする。しかし十数年後、東京で成功しているはずの息子の様子を見にやってきた母が目の当たりにしたのは、うだつの上がらない夜学教師の職に甘んじている息子(日守新一)の姿だった。
小津安二郎はこの作品で劇映画としては初のトーキーに踏み切った。小津が長らくサイレントに固執してきたのにはいくつかの理由があるが、その一つは小津の片腕である茂原英朗キャメラマンが独自方式のトーキーシステムを開発中で、それが完成したら使うという約束をしていたからである。
この「茂原式」トーキーシステムは、後に松竹傘下の新興キネマで使用されるようになるが、既に松竹が「土橋式」というシステムを導入しており、本作が茂原式を使うことになったことで土橋側が抗議したため、ちょうど蒲田から移転したばかりの松竹大船撮影所では撮影ができなくなった。そのため小津組は、空家になり半ば取り壊し中だった蒲田撮影所に居残ることになったが、蒲田撮影所には防音設備がないので、撮影に入るのは電車や工場の音が止む深夜になってからだったという。
そういった経緯で、本作は蒲田撮影所で製作された最後の作品となった(ただしクレジット上は大船作品となっている)。
このように苦労して完成した本作だが、結局茂原式トーキーはこれ一作のみで、小津の次作『淑女は何を忘れたか』では土橋式トーキーが使われた。
なお、東京に出てきた母に息子が見せる映画は、当初エルンスト・ルビッチ監督の『私が殺した男』の予定だったが、最終的にヴィリー・フォルスト監督『未完成交響楽』になった。
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