[あらすじ] 香港発活劇エクスプレス 大福星(1985/香港)
前作『五福星』が83年度香港で年間No.2の大ヒット。日本での評判の高さを知ったゴールデン・ハーベストは大規模な日本ロケを決定し大幅な設定変更を加え本作の撮影に入った。まずジャッキー・チェンとユン・ピョウの刑事コンビを大幅にフィーチャー(ユン・ピョウは武術指導兼任のため、出番は少ない)。そして福星メンバーも以下のように変更された(小学生ばりのアダ名は日本でのみさらに分かりやすい形へと変更されている。下記のカッコ内表記は[五福星→大福星])。
サモ・ハン・キンポー[ポット→デブ]、リチャード・ン[チンケ→クレージー]、チャーリー・チン[ハンサム→二枚目]、フォン・ツェーファン[マジメ→ひげ]、1番薄汚い和田勉似のモジャことジョニー・シャムは更迭(?)され[ちび]ことエリック・ツァン(本作では一部脚本も担当している)が新たにサギ師軍団に加えられた。
日本での撮影は84年12月18日から85年1月5日までの2週間強(間にジャッキーは香港でのクリスマス・パーティのため、1度帰国)。撮影は押し、香港でも伝説となる6班撮影が行なわれた(香港では時間がなくなると同時に違う場所で撮影・編集を始める。といっても通常は多くて2〜3班)。日本での撮影場所は主に以下の通り。
・都内(オープニングの地下鉄都営新宿線新宿駅のホームなど、お化け屋敷のシーンは後楽園遊園地で撮ったとの噂もあるが実際は香港のスタジオらしい)
・千葉県浦安(カーチェイスシーン{1月3日が雪で中止になり1月4〜5日の2日で撮ったという噂}東映発表では三菱ミニカがジャンプするシーンだけで6時間のテスト、3回目で成功し、結果63台の車がボロボロになった。同撮影終了後、歌舞伎町での打ち上げパーティーへ)
・富士急ハイランド(来日して最初の撮影。ジャッキー・チェンが観覧車から約15mの落下シーンで左足首負傷{実際は骨折?}、忍者シーンではユン・ピョウが後頭部を殴られ流血、失神するなどトラブル多発)
85年7月15日にジャッキー・チェン、レイモンド・チョウ、シベール・フー、や脚本家のエドワード・タン、「成家班」のマースらがプロモーションで来日(サモハンは『五福星』のプロモーション来日で懲りたのか呼ばれてないだけなのか来日していない)。そのスケジュールは以下の通り。
7月15日:東京・帝国ホテル菊の間で記者会見、光の間でパーティー。
7月16日:茨城・筑波EXPO85エキスポプラザでイベント(メンバー以外の出席者は小森和子、岡崎友紀、手塚里美)で約8千人が集まった。会場ではJ.C.BARと名付けられたステージで「成家班」とのアクションや当時撮影中の『ポリスストーリー』の映像が上映された。
7月17日:「笑っていいとも!」出演。東京・渋谷東映では「成龍祭」が開催されファンの女性達とハッピ姿で御輿を担いだり手形を押したり大変盛り上がった模様。(翌日帰国)
その他キャストの当時の状況:・ユン・ピョウ=日本ではアイドル人気爆発。「ユン・ピョウ ファースト・アルバム」でレコードデビュー。・チャーリー・チン=ブリジット・リンと婚約中らしいが『五福星』の頃も同様だった記憶も。・西脇美智子=本作で香港映画デビュー。評判を呼び、『ゴッドギャンプラー』や『アイアン・イーグル4』など世界へ活動場所を拡げた。
日本盤主題歌は路上パフォーマンス集団「一世風靡Sepia」の二番煎じ、「時代錯誤」(キャッチフレーズは"アジアの快男児。"後の漫才コンビ「BOOMER」はこのグループ出身)の「幸運序曲」(作詞:PANTA、作曲:鈴木慶一)。ビデオでは彼らのプロモーションビデオ付のものもありメインボーカル松岡一美のブルース・リーを真似たヌンチャク姿などが見られる。
同年香港では年間NO.1大ヒットを記録(HK$30,748,643.00)。86年香港フィルムアウォードではベストアクション監督賞候補に本作のユン・ピョウとラム・チンインがノミネートされた(ちなみに同賞は『ポリス・ストーリー』の「成家班」が受賞)。
85年8月10日東映系にて公開[香港公開は同年2月10日]。97分。製作ゴールデン・ハーベスト。
シリーズ作:『五福星』(83年)、『七福星』(85年)、『十福星』(86年)や日本未公開の[福星臨門](89年)、[運財五福星](91年)もある。
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