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[コメント] ダスト(2001/英=独=伊=マケドニア)

 次はあなたの物語。さあ、大いに語ってくれ。
にくじゃが

**********************************見てない人のためになるんだかならないんだかわからないけど、とにかく見てない人のために赤レビューはいけないかもと青レビューになるように、仮コメント。あとで多分書き直す、と思う。**************************

 この監督の「映画という物を語る手段への信頼」のほどににはびっくりする。きっと彼はなにかを語り続けることでなにかが変わると本気で信じているだろう。うそっぱちの映画。でもそのうそっぱちにだってなにがしかの真実はあるかもしれない。作り上げたことが真実になることだってあるかもしれない。そこに生まれる期待と希望と想像力、信じたっていいじゃんか。私も本気で信じてる。

 歴史は物語だ。「historyは his story」なんて事を持ち出さなくても、断片的な事実を結びつけるのは私たちの想像力。いくら客観的な歴史を追い求めようと、たくさんの事実の見方を決めるのは「私」。

 そんな「私」の物語。これは教科書に載っているような「権力者から見た大きな歴史」じゃない。「ダスト(塵)」にすぎないようなちっぽけな私の物語。言ってみれば、歴史の陰に隠れるマイノリティの歴史。どんな小さな人の意見でもたくさんの人たちの意見と同じように尊重されなくてはならない民主主義、埋もれる民族をひとつにまとめて彼らの話を尊重する民族自決。そんな現代では、「私」の歴史が明らかにされることが望ましいとされているけれど、これはあくまで「私」の物語。とても一面的な見方でもある。また、たくさんの「私」の物語をすべて認めることによって極左とか極右なんかの歴史を認めることにもなってしまう。「マイノリティ」の歴史を認めるのと同時に多分に「極なんとか」みたいな物も認めなくてはならなくなってしまう。現代民主主義の二極分化、この大きな矛盾。

 この映画はそこをクリアしているとは言い切れない。ミルチョ・マンチェフスキーは彼の見方で彼の歴史を語った。トルコの人はこの映画を苦々しく思うかもしれない。それは仕方のないことだと思う。彼の物語は彼の物語で、すべての人の物語にはなり得ない。でも、そういう「一方的な見方」を緩和させることはなんとかできるかもしれない。一緒に笑うとか一緒に泣くとか、ふっと緊張がゆるむとき、相手のことを少しだけ考える余裕がうまれる。「ああ自分と同じ部分もあるんだ」と。そういう風な相手への配慮があったところで初めて和解や歴史認識が進んでいくんじゃないかと思う。なんか話がそれた。まあいいや。そこはこの映画は合格点を与えられる。その点がきちんと押さえられているからこそ、悲惨な戦闘シーンで「悲しみ・空しさ」を演出できたのではないかと思う。

 登場人物は一人を除いてそれぞれに魅力的な奴らだ。味わいある奴らだからこそ、細かいところまでも「こいつならどうする?」と想像させられる。「それはどうなったのさ?」の部分はこれから「私」が自分で語ってゆく。「私」が語り続ける限り、思い続ける限り、彼や彼女は生き続けるし、そこに希望を見いだすか、絶望に沈むか、どんな立場で物語るか、それは自由だ。

 押しつけじゃない、かといって「物語の放棄」でもない。一番語りたいことはちゃんと言うけど、そこから「私」の想像力に任せてくれる。この「どうしても語りたい物語」と「観客への配慮」のギリギリのせめぎ合い。それを逃げとは思わない。私はこの姿勢を断固支持する。私が好きな映画は、この映画のように物語がありつつ、それにもまして自分自身の妄想をふくらませてくれるものだから(それは私自身の読解力にかかっているとも言えるけど、まあそれは置いとく。)そういう意味でこれは私にとって「映画の中の映画」といえるかもしれない。

 七年間は無駄じゃなかった。私が待ってた時間は六年だね。

 ちょいと文句を言うのなら、少し音楽が過剰。それと前半、話に引き込みたいのはわかるけど、アップが多くて暑苦しい。

(評価:★5)

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