[コメント] 野良猫ロック 暴走集団’71(1971/日)
「暴走集団」と銘うちながら、シリーズ開始たった一年で彼らは車やバイクという移動手段すら持たぬ停滞集団となった。廃バスのねぐらを抜け出しちんたら自転車で向かった地方都市での緩い奪還劇は、裏切り者の処遇をめぐり初めて追い詰められてやっと暴走する。
いわゆる団塊の世代である彼らの1971年の気分の総体とは、こんな感じであったのかもしれない。同じ71年に藤田敏八が撮ることになる『八月の濡れた砂』の高校生たちのジリジリとした焦燥感との間には、鮮やかに一本の線が引かれている。その焦燥感は70年代の後半に向かって閉塞感へと向かい、時代を担う主役(若者)もまた秋吉久美子や桃井かおり、森下愛子、原田美枝子らポスト団塊世代へと移る。
「野良猫ロック」シーリーズは70年代を象徴する作品群と評されることがあるが、それは正確ではない。彼らは60年代的なるものに終止符を打つためにスクリーンに現れたのだ。シリーズを飾った「若者」の面々は、この時点で自ら「若者」の座を清算するために70年という節目にたち現れたのだ。その証拠に、彼らの生き残りとして梶芽衣子はこのあと、「サソリ」シリーズの松島ナミや、あるいは「修羅雪姫」の鹿島雪として、仲間たちの過去の恨みを一身に引き受け焦燥から閉塞へと向かう70年代を亡霊のように彷徨っていたではないか。
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