[コメント] 世界残酷物語(1962/伊)
傑作中の傑作ドキュメンタリー。「残酷」という視点から世界を見渡してみせたというだけで、永久に映画史に残っていい。世のドキュメンタリー作家は、全員まず『世界残酷物語』を観ろと言いたい。
ヤコペッティはヤラセの代名詞のようになってしまったが、彼を「ヤラセの人」という枠に押し込めて安心してていいとはどうしても思えない。それは楽チンしすぎに思える。「真実だ」も「ヤラセだ」も、他人が言ってることにすぎない。ヤラセヤラセ言うあなたはじゃあヤコペッティが事実を捏造している現場を実際に見たんかと。ヤラセだという言葉をあまりにもたやすく受け入れることは、新たなヤラセが登場したときには容易に、実に容易にカモになりうるということだ。『世界残酷物語』の真偽を問うならば、まずこの映画をクソマジメに自分の目で観てカット単位で分析し、映画の中からその根拠を引き出すべきだ。しかしそれ以前に、オレは顔のない「大多数の声」よりも、実際に世界を渡り歩いてカメラをまわし、自分の名前で『世界残酷物語』を発表したヤコペッティという人間に感動するのだ。この映画は彼のエネルギーの塊だ。
『世界残酷物語』は胡散臭い見世物であって、ジャーナリズムではないというのが世間一般の見方だろう。しかしこの映画の存在自体が問いかける「これが胡散臭い見世物ならば、じゃあ胡散臭くないジャーナリズムって何だ?」という逆照射は、現代でもまったく力を失っていない。疑うことは、考えることだ。この映画こそが実はジャーナリズムの正体ではないのか、オレはそう思うことがよくあるんだ。
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