[コメント] おもひでぽろぽろ(1991/日)
女の子って、声変わりしないし、15年ちょっとでこんなに変わるもんじゃないです。コンテも別人なら、声優も別人、性格も別人で、おまけに同場面に二人描けば、監督が意識的に現在と過去のジブンを分離して描いたとしか思えません。
確かに、過去のジブンって、あるときポコっと飛び出してきて、そしてそれを物凄く客観的に見られちゃう自分がいたりするものかもしれません。しかし、そう理解しようとしても、あまりの必然性の無さに「???」という思いです。
この作品のストーリー運びにおいては、これほどまでに過去を切り分けて描く必要があったのでしょうか?主人公は「過去のジブンを連れてきてしまった」と言っています。消極的ですが、過去のジブンに囚われだした自分を意識しているわけです。そして、今の自分と過去のジブンをオーバーラップさせながら感傷に浸ったりしています。転校生のくだりは特に、過去のジブンの罪の意識の延長を現在の自分に当てはめ懺悔しています。過去のジブンは、今の自分に内在するアイデンティティの一部であると監督も意識しているのです。
では、なんで同じ場面にジブンを二人描いたのでしょうか?私には、あえて「アニメーション的な」演出を加えたとしか思えないのです。私には、過去と現在のサンドイッチを作って、間をうまく糊付けしたようにしか思えないのです。
・・と、こういうことを書きながらも、高畑作品が好きな私の評価は★4つです。宮崎コンテが、宮崎さんよりも不完全で不器用な(←誉めています)演出で生き生き描かれることに、私は人間性を感じ、安堵感を覚えるのです。
・・それにしても、大人のタエ子はかわいくない。子どももかわいく描くなら、大人もかわいく描いてください。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (4 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。