[コメント] キートンのセブンチャンス(1925/米)
キートンファンからしてみれば最高の快感を味わえる傑作。運命の女性、壮絶なアクション、そして欠かせない無表情のおとぼけギャグ。これらが完璧の歯車として噛み合って完成する。スラップスティックと当時の映画界の極致が存在するのだ!
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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20年代も半ば、まさしくキートンの長編作品が絶頂期を迎えていた時の作品。一連のシークエンスは単純もいいとこで、だからこそ完璧であり、そこには極致があるのだと思う。
運命の女性という存在を冒頭で振る。一年という短いようで長い年月が流れていく。犬が成長すると共に、ビリーとメアリーの(隠れた)愛も成長していたはず。しかし、キートンは愛を告げることが出来ない。この辺が人間の弱さであり、時の流れの残酷さを露呈する。そこで舞い込んできた遺産の話。キートンの映画として、そしてスラップスティックコメディとして最高のフリである。それまでドラマティックでシビアに展開されていたが、ビリーがメアリーに愛想を尽かれると、徐々にドタバタの感が帯びてくるのだ。
以降は特別に語る必要も無い(笑)。見たままであり、感動したままである。あのアクションに次ぐアクションこそキートンの武器であり、幼少の頃から舞台で鍛えてきた鋼の肉体が作品を支配してしまう場面だろう。いや、支配する直前に留まったのも、この作品が評価される点の一つなのかもしれない。アクションだけでは、その場しのぎの笑いにすぎないはずだからだ。起承転結の好脚本や無表情で織り成すギャグがあるからこそ、アクションだって生きてくるのだ。
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